2018年12月11日火曜日

チャイコフスキー:ヴァイオリン協奏曲ニ長調作品35(Vn:ジョシュア・ベル、マイケル・ティルソン=トーマス指揮ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団)

「最高に素敵な日にいらっしゃいましたね!」と写真を撮りながらその人は話しかけて来た。ふらつく足元に雪が絡まり、今にも倒れそうな姿勢で私は山居倉庫の前の橋をわたっていた。観光客はほとんど歩いておらず、50センチはあろうかと思うような深い雪道に、同じ深さの足跡をつけながら、降り積もる雪と酒田の街の写真を撮った。

初めて訪れた出羽地方の港町酒田は、北前船の拠点として栄えた。山形で取れる米を最上川で運び、それを上方へ送る商売を営む豪商が本間氏だった。本間美術館にはその本間氏の別邸が立てられ、天皇も宿泊したという部屋から見渡せる日本庭園は、今日はすっかり雪の中に埋もれていた。

そんな旅行から東京に戻って、チャイコフスキーのヴァイオリン協奏曲に耳を傾けている。短い秋が過ぎ去って冬がやって来ると、無性にこの曲が聞きたくなる。それも良く晴れた日の夕暮れなどに。これはどういうことか。チャイコフスキーの魅力は、ロシアの民族性を持つ一方で、ある種の土着性からはやや離れた、一種の洗練されたものを感じさせることである。その理由は、もしかしたら風光明媚で明るいイタリアを旅し、陽気な音楽にも接したからではないか、などと素人の想像を膨らませている。このヴァイオリン協奏曲はジュネーブ近郊の村に滞在中、作曲された。

これほどヴァイオリンの魅力を引き出した曲はないのではないか、と思う。その素晴らしさはベートーヴェンを別格とすれば、おそらくブラームスやメンデルスゾーンに匹敵するだろう。そう、四大ヴァイオリン協奏曲とは良く言ったものである。これにシベリウスを加えると、世界中で演奏されるヴァイオリン協奏曲の80パーセント程度に達するのではないだろうか。

ピアノ協奏曲第1番がそうであるように、またベートーヴェンやブラームスのヴァイオリン協奏曲がそうであるように、この曲もまた第1楽章が長い。時にオーケストラがシンフォニックに鳴り響くとき、まさにクラシック音楽を聞いている楽しみにとらわれる。全編にわたって聞きどころが満載だが、私があえて1か所あげるとするなら、第1楽章カデンツァの終了部で、トレモロにフルートがメランコリックな主題を重ねて行く部分だろう。ここの部分をいい演奏で聞くと、心の底からぞくぞくとする。

一方、第2楽章は第1楽章の半分以下と短いにもかかわらず、寒い冬の日に部屋で過ごすような気持になる。あるいは少しレトロな雰囲気を感じるかも知れない。悲しいけれど情に溺れてしまわないような気品が漂っている。

第2楽章から続けて演奏される第3楽章は、急にオーケストラがドスンと鳴り響くところから始まる。いきなり技巧的なヴァイオリンがうなったかと思うと、堰を切ったかのように音楽が流れだす。中間部で民謡風になるが、コーダまではさらに情熱的に駆け抜ける。この曲はピアノ協奏曲第1番と構成が良く似ていると思う。そして献呈したソリストからは「難しすぎる」と言われてしまう点も同じである。だが今ではどちらも、チャイコフスキーを代表する名曲である。

今日は最近もっとも気に入っているジョシュア・ベルの演奏で聞いている。2005年のライブ録音。最新の演奏だと思っていたが、気が付けばもう13年も前の録音である。デビュー当時まだ10代だったベルも、今や51歳。私とほとんど変わらない年齢である。伴奏がMTT(マイケル・ティルソン=トーマス)の指揮するベルリン・フィルという豪華な組み合わせは、何も言うことがない。木管楽器の美しさ、弦楽器の重厚さは比類がなく、録音もDSDのマークが入っていて最上級である。さらに驚くべきことは、この演奏がライブである点だ。第3楽章が終わるや否や、盛大なブラボーに包まれる。

この曲の名演奏は古くから数多くある。個人的な思い出は、スターン(オーマンディ指揮フィラデルフィア管弦楽団)、チョン・キョンファ(デュトワ指揮モントリオール交響楽団) とムローヴァ(小澤指揮ボストン交響楽団)である。スターン盤では伴奏の豪華さに圧倒されたし、チョンの演奏では落ち着いて聞ける名演だった。だがこれらの演奏は、今となっては少し古い部類に入ってしまうだろう。これらが模範的な演奏だったとすると、ベルの演奏は、より緩急をつけ、情緒的な面が強調されているかと思えば、ある部分一気に駆け抜ける。それは伴奏にも当てはまり、つまり、これらは共同作業としての曲作りである。丁寧で集中力があって、長さを感じさせないが、実際にはたっぷりと長い。

吹雪の酒田の街は土曜日だと言うのに誰も歩いていない。けれども小さな酒場に足を踏み入れると、そこには地酒を片手に談笑する旅行客や地元のグループでいっぱいだった。そのようなある店でマスターと会話をしていると、入って来た5人組の若者と親しくなった。「こんなところに何をしに来たんですか?」と尋ねるので「前から来たい、来たいと思っていたんだよ」と告げると「僕たちは出たい、出たいと思っているのにですか?」と言われた。確かに1年の半分は寒く、雪が降ると身動きが取れない。そして人口は減り続けている。首都圏からは遠く、そのことが一層、郷土色を色濃く残す結果となっている。同じ中学の同級生だったという彼らは、たまたま街で出会い、そして今夜は3軒もはしごをするそうだ。あまりに寒いので、次の店を断って旅館へと急ぐ。途中、彼らが教えてくれたラーメン屋に寄ろうかと思ったが、もう遅いので帰ることにした。何もない酒田の夜に、雪が降り続けていた。

余った収録部分には2つの小品が添えられている。瞑想曲二短調作品42-1とバレエ音楽「白鳥の湖」より「ロシアの踊り」である。瞑想曲はハープも聞こえてくる抒情的で、大変きれいな曲であった。

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