2018年12月6日木曜日

ハイドン:チェロ協奏曲第2番ニ長調(Vc:ジャン=ギャン・ケラス、ペトラ・ミュレヤンス指揮フライブルク・バロック・オーケストラ)

お気に入りのイヤホンを妻に貸したら、返ってこなくなった。仕方がないから古いSONYのイヤホンを久しぶりに使ってみた。こちらの方がはるかに高級で、当然音は良い。自然で細かい部分まで聞こえてくる。音漏れがすることに加えてコードがよく絡まるなど、少し使い勝手が悪いので、長年お蔵入りしていた代物である。ところが我がWalkmanへ接続してみると、なかなか相性がいい。同じSONYだからなのだろうか。静かに落ち着いて聞くイヤホンとしてうってつけである。

それで今日は、東北地方への一人旅に持って出かけた。新幹線「やまびこ」が大宮を発車した頃から、ハイドンのチェロ協奏曲を聞き始める。第2番ニ長調は気品に満ちた大人の音楽である。こういう曲は、晴れた静かな朝に聞きたいものだと思う。

早朝から降り始めた冷たい雨は、北へ向かうにつれてみぞれや雪に変わるのだろうか。悪天候のために行先を郡山から福島に変更した。これから1時間余り、音楽を聞きながら過ごそうと思う。第1楽章が終わる頃にはもう、列車は利根川を渡り、茨城県をかすめて栃木県に入った。進行方向右手に座ったので、北関東山地は見えない。代わりに筑波山が眺められるはずであるが、今日は見えない。それでも家が次第に疎らになってゆく。

ケラスは古楽器を使って、贅肉をそぎ落としたスッキリとしたソロを聞かせる。時に鋭角的な演奏は、フライブルク・バロック・オーケストラと良く合っている。ハイドンのチェロ協奏曲は、このような奏法によって新たな魅力を引き出された作品の筆頭格ではないかと思う。そしてこの演奏は意外にも、より技巧的に感じる第1番より、第2番のほうが成功しているように思う。

宇都宮で「はやぶさ」号の通過待ちをする間に乗客の半数近くが降り、音楽は第3楽章に入った。いくつかのカデンツァを挟みながらも、この曲は終始しっとりした感触を残しつつ進行する。ロンド形式の短い第3楽章があっさりと終わるや否や、隣の線路を緑色の車体が駆け抜けて行った。

まだソビエトの音楽家だったロストロポーヴィッチが、イギリス室内管弦楽団を引き振りしたレコードが、私のこの曲との出会いだった。ちょっと古びた風合いのジャケットを見ながら、父はこのLPを初めて自分の小遣いで買ったと話してくれた。「本当は他の曲を買いにいったんだ。けれども、どういうわけかこの演奏を選んだ」と言ったその話を、なぜかよく覚えている。ハイドンのチェロ協奏曲は、目立たない存在ながら、静かな気品を放っている。

車内販売で買ったコーヒーがなくなった。久しぶりに聞いたハイドンの曲。やがて、しばらくして宇都宮を発車する頃には、Walmanに入れられた次の曲、ウェーバーのピアノ協奏曲が流れ始めていた。


0 件のコメント:

コメントを投稿

ブラームス:ヴァイオリンとチェロのための協奏曲イ短調作品102(Vn: ルノー・カピュソン、Vc: ゴーティエ・カピュソン、チョン・ミュンフン指揮マーラー・ユーゲント管弦楽団)

ブラームスには2つのピアノ協奏曲、1つのヴァイオリン協奏曲のほかに、もう一つ協奏曲がある。それが「ヴァイオリンとチェロのための協奏曲」という曲である。ところがこの曲は作品番号が102であることからもわかるように、これはブラームス晩年の作品であり(54歳)、すでに歴史に残る4つの交...