2018年12月3日月曜日

NHK交響楽団第1900回定期公演(2018年12月2日、NHKホール)

今年もいつのまにか短い秋が過ぎ去り、早くも12月になった。地下鉄代々木公園駅からNHKホールに向かって歩くときの銀杏並木を楽しみにしていたが、葉はまだ木々に残ってはいるものの、紅葉は色あせ、積もった落ち葉も重くくたびれた感じがする。暑すぎた夏、長すぎた秋雨、そして今年の冬はいつになく暖かい。

師走だというのに20度にも達するような日々が続いているが、それでも今日の東京の空は、どんより冬の雲が覆っている。昨夜から十分な睡眠をとったためかコンサートに向かう足取りも軽く、こういう日には名演奏に出会う確率が経験的に高い。もっとも、行くと決めたのは昨日のことである。プログラムは知らない曲ばかりのオール・ロシア・プログラム。何も期待せず、大量に残っていた一番安い席(E席、1500円)を購入し、3階席へとたどり着く。そして公演が始まるまでの数十分を、プログラム・ノートに目を通して過ごす。

12月に行われる3つの定期公演の、ただ1回にだけ登場するロシア人指揮者、アレクサンドル・ヴェデルニコフは、N響への出演がもう5回目だそうである。私は初めてであるばかりか、テレビを通じてもこれまで聞いたことがない。そして独奏を務めるピアニストのアンドレイ・コロベイニコフもまた、私にとっては初めての音楽家である。プログラムは前半に、スヴィリドフの組曲「吹雪」とスクリャービンのピアノ協奏曲嬰ヘ短調、後半はグラズノフの交響曲第7番「田園」である。

ここ数年は、ロシア物を聞くことが多い。昨年からチャイコフスキー、プロコフィエフ、ハチャトゥリアン、リムスキー=コルサコフ、今シーズンに入ってショスタコーヴィッチ、ラフマニノフ、それにグラズノフを聞いてきた。グラズノフは先月、交響曲第8番をラザレフの指揮で聞いているから、今回の第7番はその前の作品ということになる。私のロシア音楽経験はこのようにして次第に深まっているが、今回のプログラムもまた、見事にロシア一色である。しかも来週にはストラヴィンスキーへと続く…。

首席オーボエ奏者の茂木大輔氏がTwitterで「ヴェデルニコフは本当にすげー指揮者だ!」と呟いたので、どれほど凄い指揮者なのか、と思って出かけた。そしてそれは最初の曲、スヴィリドフの組曲「吹雪」の冒頭で、明白なものとなった。プーシキン原作の映画「吹雪」のために書かれたこの作品は、1964年の作曲である。映画音楽だから親しみやすいとのことだが、実際にその通りで、しかもソロパートが多く、音楽的な要素は多様でもあるため、聞いていて飽きない。誰かがTwitterで、寒い冬に暖かい部屋で食べるアイスクリームのようだ、と言っていたが、なるほど言い得て妙である。ワルツはショスタコーヴィッチによくあるレトロなジャズ風で、第4曲の「ロマンス」などは、木管の各ソロとヴァイオリン、チェロの首席が、またその後にはピアノとヴァイオリンとチェロだけの、室内楽のようになったかと思うと、第5曲は吹奏楽による行進曲である。

見事なN響の響きが、3階席の奥にまでしっかりと響くが、ヴェデルニコフの真骨頂はよくブレンドされた音が、実に安定したアンサンブルとなって濁りなく聞えてくることだ。指揮棒は持たず、それほど身振りも大きくはないが、音楽はちょうどいい塩梅のテンポ、そして音の広がり…これはよく聞いている人にはわかるようで、今日は 2階席からのブラボーが多かった。そしてどんな小さい音色の時でも、あるいは初めて聞く曲のフレーズであっても、それがちゃんと音楽の文脈の中で生きているように感じる。これは見事というほかない。

次のスクリャービンの演奏で、私はこの作曲家の作風が初めてよくわかったような気がしたし、それを目の前に繰り広げたコロベイニコフは、私がかつて演奏会で聞いたどのピアニストよりも印象的だった。ショパンを思わせる作品と言われているが、その音色の深さ、広がりを表現する上での、必要にして十分なアプローチ。技巧的だと感じさせず、知が上回ることもなく、かといって陳腐な抒情性に頼るわけでもない。程よいリリシズムとダイナミズムを持ち合わせているこの様子は、何と表現すればいいのだろうか。指揮者の音楽性に合っていると思ったし、それが作品にも合っている。ラフマニノフなどもこういう感じで演奏されると、もうメロメロになりそうである。休憩時間に会場で売られていたCDを見てみると、ロシア物に混じってブラームスの室内楽曲などもあって、思わず買ってしまいそうになった。

前半が終わったところで、しみじみと嬉しさがこみ上げて来た。後半のグラズノフは、ベートーヴェンの「田園」を意識した作品だと言うふれこみだったが、私はこの作品を、何かオペラの音楽のように感じた。幕が開いて、歌手が登場するまでの音楽に、このような曲が多いな、などと考えながら35分ほどの曲が進む。グラズノフの交響曲は、第6番までが民族的な色合いの濃い曲だそうだが、私が最近きいている晩年の作品は、どうも少し異なっている。それでも第8番よりは親しみやすいと思った。それは「田園」、すなわち標題音楽の側面があるからだろうと思う。

終楽章のコーダになって、職人的な手さばきで指揮を終えたヴェデルニコフは、退場の間際に腕を大きく広げ、自信と満足感がいっぱいだったに違いない。オーケストラの上段からコントラバスのパートにまで回って握手を交わすと、2階席を中心に熱心なブラボーが飛ぶ。客席には空席が目立ち、平均的には控えめな拍手の中に、熱烈なブラボーが飛ぶさまは、この演奏会の性格をよく表していたように思う。

演奏会が終わって代々木公園に出てみると、青い電光を木々に括り付けた広大な光のイリュミネーションに目を奪われた。ロシアの音楽を聞いていると、冬の日本海を旅してみたくなった。喧騒の中を渋谷駅まで下っていく時、平成最後の年の瀬は、実感のない中での空騒ぎのように思えて来た。だから、少し古い音楽を聞くと、何か無性に懐かしい感じがする。失ってしまった何かが、心のどこかから引き出されていくような思いにとらわれるのだろう。

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