2020年3月31日火曜日

ベートーヴェン:オラトリオ「オリーブ山上のキリスト」(S: ルーバ・オルゴナソヴァ、T: プラシド・ドミンゴ、Br: アンドレアス・シュミット、ケント・ナガノ指揮ベルリン・ドイツ交響楽団、ベルリン放送合唱団)

私はどういうわけからか、ケント・ナガノが指揮するベートーヴェンの珍しいオラトリオ「オリーブ山上のキリスト」(もしくは「かんらん山のキリスト」)のCDを購入している。この滅多に演奏されない作品は、1803年に作曲され好評を博したようだ。ベートーヴェンの作品には珍しく、わずか数週間で完成されたにもかかわらず大きな成功を収めたことで、伝記にもよく登場する作品である。にもかかわらず、現在ではほとんど触れる機会がない。

そういう作品に興味を覚えたのだろう。丁度その頃に、この録音がリリースされた。独唱にルーバ・オルゴナソヴァ(ソプラノ、天使セラフィム)、プラシド・ドミンゴ(テノール、イエス)、アンドレアス・シュミット(バリトン、ペテロ)といった豪華な顔ぶれが並ぶことも、購入至った理由と思われる。

人気を博した理由のひとつは、ストーリーの単純明快さにあるのではないかと思う。「最後の晩餐」のあとオリーブ山(ゲッセマネの園)で兵士に捕らえられたイエス・キリストが、天使セラフィムとともに神に祈りを捧げながら十字架にかけられるというもので、苦悩に満ちた人生が愛によって救われるという、ベートーヴェンの生涯を通してたどり着いたモチーフが早くも見て取れる。丁度この頃に、ハイリゲンシュタットの遺書が書かれており、苦悩の中から何とか出しつつあったベートーヴェンの心情が反映されたものだろう。この直後にベートーヴェンは、彼唯一の歌劇「フィデリオ」の作曲に取り掛かる。

音楽は、一度聞いたら忘れられないようなものではないものの、終始推進力と愛情に溢れ、ドラマチックで高揚感もある。順にみて行こう。

まず重々しい序奏に続き、イエスが登場して苦悩と恐怖から救いを求めて神に祈りを捧げる(レチタティーボとアリア)。ナガノのCDではイエスをプラシド・ドミンゴが歌っている。ドミンゴのドイツ語にがどのようなものかは私にはわからないが、ドイツ歌唱の要諦を心得ているとはいえ、どことなくヴェルディの歌に聞こえるところはある(mein Faterをマイン・ファーテルと言っている、とか)。

第2曲にはソプラノが登場し、やがて女声合唱(天使)も加わる。独唱は非常に歌いにくそうなものに聞こえる。そして第3曲ではソプラノ(天使)とテノール(イエス)の二重唱になる。最初の部分でチェロの独奏が登場し、避けられない運命を嘆き、恐怖におののき、やがては神の愛に目覚めるという感動的な部分だと思った。

第4曲は明るい調子に変わる。「Wilkommen, Tod!」。行進曲となり、男声合唱(兵士)が登場する。ここは「フィデリオ」の一シーンを思い出す。この作品は「フィデリオ」の下敷きになったようなところがある。

さて、続く第5曲から最後までは一気に緊迫に満ちた音楽となる。ベートーヴェンの推進力に満ちた音楽が、兵士と天使の合唱に合わさり、クライマックスへとつながってゆく。合唱の楽しさを感じる曲でもある。第6曲ではペテロが登場して兵士に立ち向かおうとするが、やがて始まる終曲のフーガは、高揚感を増しながら合唱と三重唱が愛を賛美し、神を讃える。

交響曲やピアノ・ソナタと違い、歌劇ではモーツァルトに、歌曲ではヘンデルに到底かなわなかったベートーヴェンと言われるが、このオラトリオはヘンデルの影響を受けつつ、ベートーヴェン独自の作風が混じって、ベートーヴェン好きの私などは聞いていて気分が良い。ストレートに作品を味わえるのが、ベートーヴェンの何よりの魅力だと思う。

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