ブラームスはこの変奏曲を、まず2台のピアノのための曲として制作した(作品56b)。その後管弦楽作品に編曲したが、実際には管弦楽作品としてよく知られている。主題と終曲に挟まれた8つの変奏曲から成り立っており、演奏時間は20分に満たない。しかし他の作品同様、なかなか味わい深い素敵な作品である。
クラシックのCDを毎月1枚と決めて買い求めていた学生の頃、ブラームスの交響曲第2番が聞きたくなった。私には珍しく当時新盤として発売されていたクリストフ・フォン・ドホナーニ指揮クリーヴランド管弦楽団のCDを、どういうわけか買った。おそらくレコード屋に並んでいて目に留まったのだろう。レーベルはTeldecであった。その余白に「ハイドンの主題による変奏曲」が収録されていたことは、ほとんど気に留めなかった。
演奏は案外つまらないものだった。CDは月1枚しか買えないため、できるだけ自分にとっての名演奏を揃えたいと思っていたから、これはショックだった。新譜CDであるためそこそこの値段だったこともある。だが長い熟慮の末、もしかしたらと思い切って買う時には、賭けのような楽しさもあった。後年お金に余裕ができると、そのギャンプル傾向は拍車がかかった。ところがある日、交響曲ではなく「ハイドン」の方を聞いたみたところ、その演奏が何とも素晴らしいのである。地味だと思っていたドホナーニのブラームスが、その熱い演奏によって素晴らしく印象に残るものとなった。このCDは私にとって専ら「ハイドン」を聞くためのものとなった。
この曲の記事を書くにあたって、当然のことながらこの演奏にしようと決めていた。ところが、久しぶりに聞きなおそうと我がCDラックを漁ったところ、1000枚は下らないその中に見つからない。実家に置いてきたか、あるいは見切りをつけて中古屋に売ったか(CDとして所有する上での最大の問題点は、その収容スペースの確保である)、いずれにせよ聞くことができない。仕方がないから音質は劣るが、Spotifyで聞こうとした。ところが、どう検索してもこの曲がヒットしないのである。
Spotifyの音源を管理するデータベースは、おそらく一般的な関係データベースではない。若干専門的な話になるが、インターネットの検索エンジン同様、キーワードに対しもっともよく検索されるものを先に表示することを優先するグラフ型のデータベースを構築しているのではないか。このデータベースでは、検索条件に合致するものを正確にあまねく検索するわけではない。検索のスピードは向上するが、条件に合うすべてを結果表示するものではないことに留意する必要がある。まさに「芋づる式」であるが、全体がわからないのである。
ドホナーニの演奏では、最新のフィルハーモニア管弦楽団とのブラームスの録音は、かなり上位に表示される。この全集には「ハイドン変奏曲」は含まれていない。クリーヴランド時代の演奏は地味であまり売れなかったから、今や廃盤になって久しい。こういう演奏を検索するには工夫を必要とする。ところがどう検索しても現れないのだ。ある時私は意を決して、ドホナーニに演奏を表示される限り探っていったが、やはり出てこないのだ。
Spotifyでは聞くことができないのかも知れない。そう判断した私は、いっそ中古盤を買うか(といっても第2交響曲は不要だが)あるいはダウンロード購入ができないか、と考えた(いつものやり方だ)。このため普通のGoogle検索を試したところ、何とこの曲は「Cleveland Orchestra」というタイトルで配信専用のリリースがされていることが判明したのだ(Warner)。クリーヴランド管弦楽団はジョージ・セルの輝かしい時代に多くの演奏が残っているが、その古い録音を含む、いわばアーカイブとしてこの音源はリリースされている(2023年)。何とこの中に「ハイドン変奏曲」が含まれていることが判明した。そしてSpotifyで「Cleveland Orchestra」と検索したところ、たちどころにヒットした。幸運にしてこのように私は、数十年ぶりにドホナーニの「ハイドン変奏曲」にたどり着くことができたのだった。
私はこの曲を、まるで交響曲のように聞いている。主題と第1変奏までは第1楽章で、旋律が明確に示されて期待が高まる。そのあと第4変奏あたりまではゆったりと、伸びやかなメロディーが続く。いわば緩徐楽章である。第5変奏からはスケルツォとなり、中間部のような第7変奏を経て短い第8変奏に至る。終曲は長く、ここでコラールの主題が回帰しクライマックスを築くのである。ここは「パッサカリア」と呼ばれる形式で、ブラームスはあの交響曲第4番の第4楽章で、長大な「パッサカリア」を作曲していることを思い出す。
久しぶりに聞いたドホナーニの演奏は、剛直でキリっと引き締まった熱演である。他の演奏をあまり聞いていないから何とも言えないのだが、定評あるザンデルリンクでもどこか退屈であり、ジュリーニの演奏などは遅くて聞いていられない、というのが私の率直な感想。この2つの名演奏は大変評価が高いが(モントゥーも)、交響曲でも取り上げる機会がなかったので、ここで少し触れておいた。