いわゆる歌劇場と異なるのは、舞台の真ん中にオーケストラと指揮者がいることだ。舞台はサントリーホールの構造を生かしてオーケストラをぐるりと囲んでいる。合唱団はオルガン前のP席に黒い幕を覆って客席の一部であることを上手に隠し、オルガン前にもずらりと金管の別動隊が並ぶ。その数、20名余り。
指揮者の広上淳一は、音楽の自然な流れをとても重視し、その中から音楽的なバランスを極めて上手く引き出す指揮者だ。それは職人的と言っていいほどで、その音楽がマーラーであれモーツァルトであれ、音符の長さを十分に表現し、強弱をつけて生理的にもっともしっくりくる位置に定めることができる。その広上がヴェルディを振るときいたとき、歌手をさしおいてこれは「買い」だと思った。発売日にチケットを買うのは、私にとっては異例のことだ。カレンダーに丸印をつけ、大型連休が始まるので他の予定を誤って入れぬよう細心の注意を払った。もちろん体調を整えることも。
前奏曲の簡潔にして表情豊かな音楽が聞こえてきたとき、やはり今回は並々ならぬ力がこもっていると感じた。最大音量のアンサンブルでも乱れることはなく、枠役の歌唱を含め、そのバランスが理想的に文句のつけようがなく美しいことは言うまでもない。東京に数多くのオーケストラがあって、評判の指揮者が多くのコンサートを開いているが、広上の指揮する日フィルの音はその中でも一頭上をいっていると確信している。それを実現させているのが、あのひょうきんとも言えるような指揮姿だが、決して笑いを取るためのものではなく、理想的な音楽表現を体現するためにあのような姿になるのだろう。
それは歌唱を伴った場合でも同じである。だが今回の部隊、その歌手陣の見事さたるや、何と言っていいのだろうか、一点の非の打ちどころもないくらいの高水準で、誰から記載していいのかもわからない。登場順で行けば、ヴェルディの作品としては異例の小姓役である森田真央(オスカル)の、よく動き回る役作りに感心したし(もう少し印象的な衣装をつけていても良かった)、登場するのが前半に偏っている謎の占い師を演じたメゾ・ソプラノの福原寿美枝(ウルリカ)には、地の底から燃え上がるようなおどろおどろしい歌声が会場にこだまし、この歌声で是非ともアズチェーナ(「イル・トロヴァトーレ」)を聞いてみたいと思った。
総督の友人にして忠実な部下であるレナート役を歌った池内響は、実直でスマートな印象をもたらすもので、痩せて高身長な容姿も含めピタリとはまっている。ヴェルディがもっとも力を注いだのは言うまでもなくバリトンで、その役柄としてこの上なく素晴らしいのだが、サントリーホールは響きが良すぎて残響が大きいのが、この場合難しいところだ。だがこんな贅沢な悩みを語るのはよそう。
さて、「仮面舞踏会」の二人の主役、すなわちアメーリアの中村理恵とリッカルドの宮里直樹について語る時が来た。これほどにまで理想的で素晴らしいヴェルディの歌声を聞いたことはない。特に宮里のテノールは終始圧倒的な存在感を示し、この舞台の主役として文句のつけようがないくらいである。やや小太りなのに声は高い、という容姿の適合感もさることながら、その高貴な歌声は、パヴァロッティのようないわゆるベルカントオペラのそれではない。一方、中村理恵は世界中のオペラハウスで活躍する我が国を代表するディーヴァだが、アメーリアの役でも「愛の二重唱」に力点を置いて葛藤に満ちた女性心理を歌い上げた。
どの重唱が、どのアリアが、などと言うのではなく、次から次へとつながれてゆく力量に満ちた音楽は、集団テロという陰惨な企みを扱ったストーリーとは違って歌、また歌の醍醐味を味わわせてくれる。だから深刻になることはないばかりか、極上の娯楽作品のようですらある。さりとて滑稽すぎるわけでも、陰鬱なものでもない。ヴェルディの作品は、総じて極めて常識的なのでそこがいいところ。こういう作品が30もある。
私は中期と後期の作品を中心に、多くを最低1回は舞台で見てきた。体調が悪くて昨年「マクベス」を聞き逃したのは惜しかったし、「運命の力」と「ドン・カルロ」はまだなのだが、こういった作品も是非取り上げて欲しいと思う。
セミ・ステージ形式(演出:高島勲)というのが、新しいオペラの表現形態として十分に成立することを示している。登場するのが全員日本人であるというのも悪くない。外国から有名歌手を招聘するとコストがかかるし、練習にも制約ができる。そうでなくても我が国の歌手は、これらの外国勢に隠れて、実力ある人でも主役を歌う機会に恵まれない。だから、こういう企画は大いに称賛されるべきだし、チケット代が下がることで真の音楽好き、オペラ好きが気軽に楽しめるようになればと思う。
次第に高潮して行く舞台に引き込まれ、途中からブラボーの嵐が飛び交ったのは当然だった。広上はその時その時で指揮をストップし、客席と一緒に拍手を送る。オーボエやチェロがソロを担当するシーンでは、そこに照明が当たるのも面白い。普段はピットに隠れてオーケストラを意識することがない(ようになっている)。普段はほとんどオペラを演奏しない日フィルも、舞台で思いっきりヴェルディ節を奏でるのが楽しそうに見えたし、それに何と言っても広上の陽性な指揮と一体となった舞台が、まるで歌舞伎をみるかのように楽しく、字幕を含めどこに視線を送ればいいのか大忙しだった。合唱も良かったが、何と言っても舞台に隠れていたヴェルディの音楽が、ヴェールを脱いで間の前に溢れたことが新鮮だった。興奮冷めやらぬ聴衆からは惜しみない拍手が続き、出演者も会心の出来だったと見えて長く舞台でカーテンコールに応えていたのが印象的だった。
0 件のコメント:
コメントを投稿