2025年4月8日火曜日

ベートーヴェン:ミサ・ソレムニス(2025年3月6日東京文化会館、ヤノフスキ指揮)

CDなどのメディアで聞く時と、実演を聞く時とでは、同じ曲でも印象が随分異なることが多い。どちらがいいかは、一概に言えない。このたび私は、生まれて初めてベートーヴェンの大曲「ミサ・ソレムニス」を聞いた。一生に一度は生で聞いてみたいと思っていた曲だ。2020年、ベートーヴェン生誕250年の年にこの曲は演奏されるはずだった。ところがコロナ禍で多くのコンサートが中止を余儀なくされた。この曲を聞く機会は、いったん消えてしまった。あれから5年、ようやく再びその機会が訪れたのだ。

ベートーヴェンは「第九」の前に「ミサ・ソレムニス(荘厳ミサ)」を作曲した。この2つの大曲は並行して作曲が進められた。「第九」の方はほとんど人がメロディーを知っており(だって年末のスーパーマーケットに流れている)、一部の人は一節を原語で歌えるほどであるのに対し、「ミサ・ソレムニス」の方はまったくそういうところがない。何度聞いても、この曲を口ずさめるようにはならない。だが「ミサ・ソレムニス」は「第九」に比して劣る作品かというとそうではなく、むしろ秀でた作品とされている(それはベートーヴェン自身が言っていることだ)。

けれども「ミサ・ソレムニス」が演奏される機会は非常に少ない。4人のソリストと合唱団を揃えるのが大変で、コストに見合わない、というのは事実ではない。なぜなら同じ規模の「第九」は、それこそ(我が国では)年中演奏されているからだ(曲が難しいから練習が大変であるにもかかわらずチケットが売れない、ということはある)。おそらく音楽的な要素が両曲で異なり、ミサ曲にはそれに合わせた複雑な技法が駆使されている、と見るのが正しいのではないか。私は楽譜も読めないが、おそらくこの曲は歌うのもかなり難しい。第一、4人のソリストと合唱はほぼずっと歌っており、オーケストラも大変な力量を要するように思う。それを束ねる指揮者となれば、いわゆる素人の熱演では済まされない側面があるのだ。

巨匠が残した録音でも、これを80分にもわたって聞き続けるだけの集中力を維持するのは難しい。いっそ実演で聞くことができれば、その音楽の実際のところが見えてくるのではないか。私はそう考えた。そしてその時が来た。今年21年目となる東京・春・音楽祭で上演されたワーグナーの「パルジファル」は大変な名演だったようだが、その際に登場したソリストと合唱団、それに指揮者とオーケストラが、わずか数日後にこの曲を披露する、というのだからちょっとしたものである。

その独唱陣は次の通り。ソプラノはグアテマラ出身!のアドリアナ・ゴンサレス、メゾ・ソプラノがアリアーネ・バウムガルトナー、テノールにステゥアート・スケルトン、そしてバスはタレク・ナズミ。いずれも世界的に活躍するワーグナー歌手陣。グルネマンツやクンドリを歌った歌手が、そのまま東京に残って歌う贅沢なもの。マレク・ヤノフスキ指揮NHK交響楽団、合唱は東京オペラシンガーズ。4月4日にも同じ演目のコンサートがあったから、これは1日空けての2回目ということになる。

全体に8割程度の入りに見えた。私は3階席の向かって左端で、少し視界が遮られるがオーケストラを見下ろす感じで悪くない。歌手陣はオーケストラの後、合唱団の前に陣取るから良く見える。そして驚いたのは、その音の生々しさだった。4人のソリストのみならず、オーケストラの響きの豊穣さに圧倒された。これはNHKホールではありえない音だと思った。3階とは言え、この席は悪くないのか、それともホールがいいのか、あるいは音作りが抜群に上手いのか。とにかく家でスピーカーから聞こえる音とはけた違いにヴィヴィッドである。特に管楽器と低弦の響きが大変美しいと思った。

ヤノフスキの指揮は速すぎるという人がいるが、これは体感的なものだろうし、最近はこの曲もスッキリした演奏が増えているので、私は違和感はない。そして冒頭にも書いた通り、これほど見事な音楽が生き生きと響いてくることに、心から驚かざるを得なかった。それが最初だけなら、良くある話だ。しかしヤノフスキの指揮は弛緩することなく集中力を維持し、全体の長さと規模の大きさを見通すバランスも見事だった。短期間とはいえ、「パルジファル」から続く共演によって生み出された一体感、呼吸の良さ、インティメーションとでも言うべきものが感じられた。

ベートーヴェンの大作は、途中から訳が分からなくことがある。「フィデリオ」の第2幕がそうで、熱量が過剰気味となりストーリーなどどうでもよくなってくる(その意味で極めてバランスの悪いオペラだ)。「第九」の第4楽章にも若干そのような傾向があるが、この「ミサ・ソレムニス」にも同様なものを私は感じていた。ところが今回の演奏では、そのような歪みが感じられなかった。醒めた演奏ということだろうか?そのあたりは、他の演奏を聞いていないのでよくわからない。ただ、もしかするとこの曲は、弛緩して退屈するか、あるいはエネルギー過多に陥って、無駄なシンチレーションを起こすか、どちらかになってしまうような気がする。ヤノフスキの演奏はそういうことがなく、これは職人的に大名演の類ではないかと思われた。

4人の独唱は総じてうまく、だれのどこがどうの、という印象ではない。またコンサートマスターの川崎洋介が起立して演奏した「ベネディクトゥス」の独奏部分には目を見張るような気分にさせられたし、最後の方でトランペットが太鼓とともに鳴るシーンも(ここでハッとする)、やはり実演で聞いていると大変印象的であった。

当然拍手は鳴りやまず、オーケストラが去った後でもカーテンコールが続いた。そしてそれが2回目に及ぶのは、やはり珍しいことだ。それほど聴衆は、この滅多に演奏されることのない大曲の類まれな名演に盛大な拍手を送った。

上野の春は桜が満開で、大勢の人で賑わっていた。そのまま帰るのは何となく惜しいので、桜の通りを不忍池方向まで下った。昼に降った雨もすっかり上がって快晴となっていた。傾きかけた太陽の光に照らされて、ピンクの花びらがいっそう輝くのを惜しむように眺めながら家路についた。

0 件のコメント:

コメントを投稿

第2039回NHK交響楽団定期公演(2025年6月8日NHKホール、フアンホ・メナ指揮)

背筋がゾクゾクとする演奏だった。2010年の第16回ショパン国際ピアノコンクールの覇者、ユリアンナ・アヴデーエワがラフマニノフの「パガニーニの主題による狂詩曲」の有名な第18変奏を弾き始めた時、それはさりげなく、さらりと、しかしスーパーなテクニックを持ってこのメロディーが流れてき...