2025年4月30日水曜日

NHK交響楽団第2036回定期公演(2025年4月27日NHKホール、ファビオ・ルイージ指揮)

N響は来る5月、オランダのアムステルダムで開かれる「マーラー・フェスティヴァル2025」に、アジアのオーケストラとして初めて登場し、首席指揮者ファビオ・ルイージの下交響曲第3番と第4番を演奏するらしい。これは画期的なことだと思われるが、その公演に先立ち5月の定期公演では、同じプログラムが演奏される。今回出かけたA定期では、交響曲第3番が取り上げられた。

交響曲史上おそらくもっとも長大なこの作品は、普通に演奏しても100分に達する大曲である。女声合唱、少年合唱、それにアルトの歌手も必要とする。このたびの独唱はロシア人のオレシア・ペトロヴァで、彼女はこれまでたびたびN響とも共演しているようだが、私は初めて聞く。一方、合ペトロヴァ唱団はオランダでは地元の団体を起用するようだが、今公演では東京オペラ・シンガーズとNHK東京児童合唱団が受け持った。広い舞台に何段にも設えられた合唱席が高らかと並び、大規模なオーケストラを含め壮観である。

3800人も収容するNHKホールは、紅白歌合戦を開催するために設計されたため、クラシック音楽のコンサート会場としては広すぎて音響が悪いことで有名である。でもこのような大規模な作品では、このくらいの広さを必要とするのだろうか。そして2日ある両公演ともチケット完売というのも珍しい。3階席の隅にまで誰か座っている。その私も3階席の脇の最前列である。ここからだとグラスがないと表情を見分けることは難しい。

マーラーの交響曲第3番は、3つある「角笛交響曲」の真ん中の作品だが、長い曲にもかかわらず静かで精緻な部分が大半を占め、集中力を絶やさず演奏することは並大抵のことではあるまい。コーラスが歌うのは第5楽章に限られるので、最初から登場すると待ち時間が長いし、途中で退場すると緊張感が失われる(本公演では第1楽章の後に合唱が、第2楽章のあとにソリストが登場し、第5楽章を歌い終わった時点で着席した)。

さてその演奏だが、私の数少ないこの曲の経験(たった3回)の中ではベストであり、おそらくこの演奏を上回るものに今後出会う事はないと思われた。気合の入った演奏は、第1楽章冒頭からの、異様にも感じられる凝縮度を見ればよくわかるくらいで、ルイージも緊張を隠せないくらい。大きな身振りでグイグイとひっぱってゆく。そのことが、ちょっと演奏に堅苦しさを与えたと思う。もう少し余裕があるととは思ったが、それも30分にも及ぶ第1楽章では、そこそこ大きな音も鳴って聞きごたえがあるし、客席もまだ体力があるので、胸に熱いものを心に感じつつこれから始まる長い旅への期待を膨らませる。

それにしても今回の聴衆は、とても思い入れが強い人たちが大挙して押し寄せているように見えたし、オーケストラも首席奏者揃い踏みの布陣である。8本のホルンが冒頭で奏でるユニゾンもまるで単一の楽器のように見事で、それに続く2つのティンパニ、3つのシンバルもピタリと揃っていた。

長い第1楽章が終わっただけで相当疲れたが、まだ音楽はそのあと1時間以上続く。第2楽章と第3楽章はいわゆるスケルツォ風だが、ここの聞き所は満載である。だからまだ緊張感は抜けない。特に第3楽章にはあの長いポストホルンの独奏がある。私はここの部分に入った時、その奏者がどこにいるのかを、何度も何度も目を皿のようにして探したが見当たらない。あとでわかったのだが、奏者は舞台裏にいたようだ。だがその音色はまるで舞台前面で演奏しているかのように朗々と会場にこだまし、見事というほかないものだった。

長大な第1楽章といい、精緻を極める中間楽章といい、CDなどで落ち着いて聞くことになれすぎていると、ミスなく演奏して当然と思ってしまう。このような長い曲ほど、実演に接する機会が少ないので、つい完璧に演奏されてしかるべきなどと思ってしまうが、それはとんでもない間違いで、実際には音楽は一期一会の芸術である。客席と演奏者が一体となって作り上げる時間の連続が、最高にエキサイティングであり、またいとおしくもある。

第4楽章のペトロヴァの声が聞こえてきたとき、低く垂れこめた雲の合間から光が差すような瞬間に身震いを覚えたのは私だけだっただろうか。マーラーの曲ではしばしば化学変化が生じ、ある瞬間から会場全体が一種の神がかり的モードに入ることがある。今日の演奏会の場合、このあたりだったと思う。ここから先、特に終楽章の見事な弦のアンサンブルをまるで雷に打たれたように聞き入ったのは、私だけではない。徐々に築かれるクライマックス、長い長い道のりのあとに到達する愛の賛歌。だが第3番は第2番と違ってただ熱演をすればいいだけの曲ではない。

聞かせ所のうまい指揮者がオーケストラとがっぷり四つに組んで、最高の聴衆を得たときにのみ実現され得る音楽の奇跡が、あったと思う。もっと頻繁にコンサートにでかける余裕があれば、あるいはもっと完成度を上げた演奏に出会える可能性はあるかも知れない。だが、私に許された制限の中では、この曲のベストだと思うことにしようと思う。5月11日のコンセルトヘボウでの演奏会は、現地でビデオ収録される予定だそうで、NHKで後日放送されるだろう。その時に今回の演奏を思い出しながら、よりこなれた演奏(になっていることを期待する)に酔いたいと思う。

とにかくN響の持てる力が十二分に発揮された演奏会だった。演奏が終わっても指揮者がタクトを下ろし終えるまで音を立てる者はいなかった。そしてあふれ出すように始まった拍手とブラボーが、これほどにまで大きかったことを私は知らない。満員御礼のNHKホールをあとにして、新緑の眩しい代々木公園でやさしい風に吹かれながら、いくつかのフレーズを思い起こしていた。これはこの作曲家の「初夏」の音楽である。

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