ベルリオーズの好きな私は、いまだに「イタリアのハロルド」を実演で聞いたことがなかったので、いつか、と思っていた。この曲はヴィオラ付き交響曲という珍しいもので、当然のことながら優秀なヴィオラ奏者を必要とする。我が国には今井信子という世界的に有名なヴィオラ奏者がいるが、私はいままで接する機会を持てないでいる。このたび招聘されたのは、アントワーヌ・タメスティというパリ生まれの奏者で、「ソロ、アンサンブルの領域を自在に行き来する現代最高峰のヴィオリスト」とプロフィールに書かれている。
チューニングが終わって指揮者が舞台に登場し、タクトを振り下ろしたときに、ソリストがまだいない。あれ、と思ったのもつかの間、舞台左袖からそろりそろりと登場したタメスティは、ゆったりとした序奏のあいだに何とハープ奏者のそばに行くではないか!最初のハープとの重奏が、なんと室内楽のような趣で演奏されたのには驚いた。以降、独奏者はオーケストラの間を行ったり来たり、指揮者の横に居続けることはなかった。
N響の見事なアンサンブルは、ヤルヴィの指揮によくマッチし、まさにベルリオーズの音を奏でていた。ときおり見せる幸福で歌のあるメロディーは、ややくすんだヴィオラとオーケストラに溶け合って幸福感に満ち溢れ、どちらかというと高音中心の軽い旋律は、何となく春の季節に相応しい。ここの第1楽章は、ベルリオーズの真骨頂のひとつだと思う。
一方第3楽章の躍動感あるリズムは、この曲最大の聞きどころのひとつだが、2つのタンバリンの連打と太鼓が織りなす独特のリズムは、聞いているものを何と楽しい気分にさせることか。不思議なことに胸が熱くなり、涙さえも禁じ得ない美しさが進む。ヤルヴィに率いられたN響のアンサンブルの面目躍如たる名演だと思った。
ヴィオラは終楽章で一時退場し、再び登場した時には第一ヴァイオリン最後列の二人と競演。そういった見事な演出を繰り広げながら終演を迎えた時、満席に近い会場から盛大なブラボーが乱れ飛ぶ事態となった。コンサート前半でこれだけの拍手と歓声が起こるのは、私の400回に及ぶコンサート経験(そう、今回は丁度400回目だ)でも初めてではないかと思う。
地味であまり目立つことはないヴィオラという楽器の魅力を十二分に発揮して見せたタメスティは、バッハの無伴奏チェロ組曲第1番をヴィオラ用にアレンジした一曲を披露。さらにはオーケストラのヴィオラ・パートのみを起立させたことは、この楽器に対する愛情の現れとして思い出に残るだろう。
後半はプロコフィエフの交響曲第4番だった。この曲はボストン交響楽団の創立50周年記念のために作曲されたが、初演は成功せず後年大改訂を施した。本日演奏されたのは、その改訂版での演奏である。プロコフィエフは日本を経由してアメリカに亡命し、さらにパリで生活したことは有名だが、この作品はパリで作曲され、その後ソビエトに帰国して改訂された、ということになる。
演奏はN響の機能美が満開で、ヤルヴィのきびきびしたタクトのもと、オーケストラのアンサンブルの見事さが光った大名演だった。第1楽章の行進曲風のリズムは、大オーケストラが高速で突き進むさまを楽しむことができる。この演奏が始まる前、指揮者の正面にピアノが置かれ、そういうことのためかオーケストラはいつもより前面に位置している。このため3階席最前列の私の位置にもオーケストラの音は十分に伝わって来る。ヤルヴィは翌週のB定期にも登場し、ストラヴィンスキーやブリテンの魅力的な作品を演奏する。これはまた聞きものだが、私は約40年ぶりに韓国・慶州への旅行に出かける予定である。4月にはもう一度C定期があって、これはルイージがヨーロッパ公演で取り上げる曲を演奏するらしい。マーラー・フェスティヴァルにアジア初のオーケストラとして登場し、交響曲第3番と第4番を披露するらしい。私は今回、シーズン・チケットを買ったため、このうちの第3番の演奏会に行くことになっている。今から楽しみである。
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