
少年の頃の想像は、あとになっても色褪せないものだ。それどころか、現実以上のものが存在するのではと半ば確信に満ちたように追い求めてしまう。思えば子供の頃の私は、目の前で本物の楽器を持った人たちが、音楽を奏でるというそのことだけで、放心したように感動したものだ。その音楽がモーツァルトであれシュトラウスであれ、また今から思えばとうてい上手だとは思えないような演奏・・・初めて接するホンモノのハーモニーには、比較するものがなかった。
かつてムラヴィンスキーという大指揮者がいて、ソビエトのレニングラードのオーケストラを指揮する演奏は、鉄のカーテンを突き破って轟音を響かせていた。科学的合理主義が生み出した一つの極限とも言うべき演奏は、まるで戦車が行くがごとく強烈で、しかも一糸乱れることはなかった。レコードやラジオを通して、それらの音楽は私を身震いさせるに十分だった。
そのレニングラード・フィルの実演に接することは、ソビエトの崩壊に至るまで遂にできなかった。名称がサンクト・ペテルブルク・フィルと変わってしばらくした頃、1996年のニューヨークで、私は初めてユーリ・テミルカーノフによる演奏に接することができた。カーネギー・ホールにこだましたのはマーラーの交響曲第1番「巨人」で、技術的に衰えが顕著などと言われた前評判を覆す大名演だった。オーケストラの上手さもさることながら、テミルカーノフという指揮者に興味を持った。いい指揮者だと思ったのである。
そういう経験があったので、インフルエンザが猛威をふるう東京で、キャンセルされた会社行事の時間の穴埋めにと、「ぶらあぼ」の検索サイトでこの演奏会を見つけた時は、迷わずチケットを買うことに決めたのだった。結構席も余っており、そして世界一流のオーケストラの演奏会にしては安い。文京区の新しいホールでの演奏会は、あまり宣伝されていなかったのだろうと思い、とはいえ当日にチケットが売り切れてはどうしようかと、内心心配であった。
会社の友人を誘って出かけた会場は、しかしながら、空席が目立った。マーラーの交響曲第2番「復活」という曲は、100人を越える大編成のオーケストラに、2人の独唱、合唱団、さらには舞台裏にまで楽隊を配する空前の規模の作品であり、その演奏がたとえどのようなものであっても感動に至らないわけではないだろうと、勝手に想像を膨らませ、朝から頭にメロディーが浮かんでは消えない。早い話が仕事にならないのだった。
だが演奏が始まると、その遅いテンポに加え、緊張感を失ったオーケストラが時に音を外すに至っては、ここに足を運んだことに大いに悔やんだ。練習不足という以前に、オーケストラの技量がついていないのだ。これでは我が国の二流のオーケストラのレベルである。しかも75歳のテミルカーノフは悠然と指揮をするだけで、辛うじて最低限の緊張は保っているものの、音楽的な表現とはほど遠いものだったのである。これがあのサンクト・ペテルブルク・フィルなのかと耳を疑った。
私の「復活」経験で、名演でなかったことがない。それだから一層、悔やまれた。誘った友人にも申し訳ないし、第一、この演奏について私は何をブログに書けばいいのだろう?第1楽章の何度かのトゥッティも、第2楽章の天国のように美しいはずのハーモニーも、第3楽章の印象的な民謡風メロディーも、生気を失い、濁った音がただ鳴り響く。こんな遅い演奏が最後まで続くのは、許されないとさえ思ったものだ。
だがそのような演奏も、第4楽章になってアルトの坂本朱が登場すると、変化が訪れた。厳かに歌い出す坂本に絡み合うオーボエのソロが、それまでになく丁寧に、音楽を始めたのである。この瞬間がこの演奏の転機をもたらした。オーケストラが「そろそろ本気でやろうか」と思ったかどうかはわからないが、このような光景は我が国でも年末の「第九」でしばしば見られる現象である。
第3楽章からは続けて演奏されるので、ソプラノの森麻季は、舞台袖から演奏中にゆっくりと登場し、合唱団は(最初は座ったまま歌っていたが)三々五々起立していく様子などは、効果的な印象を与えることになった。そして舞台裏のバンダが大変素晴らしく(もしかすると舞台上よりも)、さらに二期会合唱団の素晴らしい歌声に触発されて、オーケストラは少なくともその持っている力のレベルにおいて、最善を尽くさざるを得なくなった。
前半の楽章がすこぶる緊張感に満ちたものであっても、後半になって息切れするような演奏もある中で、今回の演奏はあくまで後半、それも第5楽章にこそ全ての力が注がれたと言って良いだろう。この第5楽章は何度聞いてもどこまで聞いたかがわからなくなるのだが、今回ほど、一生懸命聞いた演奏はなかった。テンポは相変わらずロシア的風格を呈していたが、それでも調子が上向いてくると、観客も手に汗を握って聞き入ったことだろう。
総じて曲の素晴らしさの前には、演奏自体の評価を云々することがあまり意味を持たないことを今回の演奏ほどわからせてくれるものはなかった。徐々に音楽が高揚していくと、私はやはりかつてそうであったように、何百人もの人が一斉に音を出し、客席が物音一つ立てず聞き入る、その時間を経験しているだけで、感動的であった。できればこの瞬間が過ぎ去って欲しくないと思った。だが、空間をハーモニーが満たし、それが消え去る時、満場のブラボーが飛び交う結果になったことを私は心から喜んだ。楽団が退場しても2度も指揮台に戻されたテミルカーノフは、いつもの変わらぬ笑顔で手を振っていた。
マーラーの交響曲第2番「復活」のCDを、私はここのところアバドの演奏で聞いていた。アバドの訃報が飛び込み、私もまた久しぶりに「復活」の実演に行きたいと思っていた矢先のことだった。だからこの演奏会に出会ったのは、偶然とはいえ運命的だった。そしてその演奏も(前半はどうなることかとハラハラしたが)、終わってみると拍手の嵐が会場を覆うことになった。終わり良ければすべて良し。興奮を覚ますために、私と友人は東京ドーム近くのバーで遅くまで飲みながら、緩んだ真冬の夜風にあたっていた。