真夏の紀勢本線を新宮に向かって走る列車に乗っていた。30年以上も昔のことだから、各駅停車の客車に冷房はなかった。窓を全開にしても熱風が吹き込むばかり。私は窓から身を乗り出してラジオを聞いていた。すると眼前に太平洋の大海原が広がってしばらく続いた。列車は速度を上げて走った。するとラジオから偶然シューマンの交響曲第3番が聞こえてきたのだ。
NHK-FMの番組がほとんどクラシック音楽で占められていた頃だ。この時の演奏はジュリーニの指揮するロサンジェルス ・フィルの新譜。ジュリーニがロスの音楽監督に就任してしばらくしたころだったと思う。とにかくこの時の経験は、私をしてこの曲を明るい陽光の中で広がる海の風景と関連付けてしまった。これがライン川の音楽だと言うのに。そういうわけで私は今でも夏が近付くとこの曲が聞きたくなる。
シューマンの最後の交響曲は、とても明るく自然な喜びに満ちている。第1楽章の冒頭は「春」(第1交響曲)の第1楽章と並んで親しみやすい曲だ。 ライン川に身を投げて自殺を試みた作曲家とは信じられない。そんな明るい曲を、イタリア人の指揮者がカリフォルニアのオーケストラを指揮しているのだから、そこに広がるのは地中海性気候の海である。第2楽章のテンポはゆったりとしており、大きな船にでも乗っているような感じだ。第3楽章に至っては昼下がりの夢うつつのような気分だし、第4楽章になると大海原に陽が沈んでいくようなイメージに変わる(私の場合)。
中間の3つの楽章がいずれもどちらかというとスローな曲であるにもかかわらず、最終楽章の第5楽章は目いっぱい盛り上がって終わると言う風ではない。どこか尻切れトンボのような印象を、初めて聞いた時には覚えた。つまり第1楽章がとても堂々として風格があるのに、そのあとが何か物足りないのである。そういうことで私は第1番や第4番に比べると全体の印象は薄い。けれども第1楽章だけは「ライン」が一番好きだ。
シューマンのすべての作品の中で、最初に触れたのがこの交響曲第3番「ライン」の第1楽章だった。 そして演奏が良ければ音楽が光沢を放つのもシューマンの特徴である。サヴァリッシュやハイティンクなどドイツ風の明るい音色とスピード感で聞かせる演奏も多いが、ジュリーニの滔々とした演奏がこの曲のもう一つの魅力を表現しているように思う。ジュリーニはヴィオラ奏者だったそうだが、明るすぎない音色が音符いっぱいにまで引き延ばされて合奏される時の、弦楽器の渋くて暖かい厚みは、大河となって流れゆく川の情景を見事に表しているように感じる。そう言えばケルンの大聖堂をライン川をはさんで見た光景こそ、この曲の本来のイメージだったろう。
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