
私はこの曲が、おそらく最初に聞いたモーツァルトのピアノ協奏曲で、しかも第2楽章だけだったと記憶している。それはフィリップスから発売されていたLPレコードが、映画音楽で使われたクラシックの名曲を並べた企画もので、その中にこの曲が含まれていたからだ。モーツァルトのピアノ協奏曲がこんなにも親しみやすく、綺麗な曲だと初めて知った。
その映画とは1967年のスウェーデン映画「短くも美しく燃え」で、そのタイトルからどんな作品かはだいたい想像ができるが、そのいわば刹那的で、ひたすら美しく燃えるような瞬間を、モーツァルトはそう意識して書いたとは思えないのだが、この効果は絶大なものがあって、今ではその主人公の名を冠して「エルヴィラ・マディガン」とニックネームが付けられることもあるくらいである(この演奏のCDジャケットにもその記載がある!)。
私がその映画を実は見たことなないにもかかわらずこの作品を知ったように、モーツァルトをこの作品から知る人は少なくないように思う。もっとも映画に使われたのは、ゲザ・アンダをピアニストとする録音だそうだが、私が聞いたLPに収められいたのは、ポーランド系のモーツァルト弾きイングリット・ヘブラーによるものだった。
ヘブラーは当時、すでにモーツァルトのピアノ協奏曲全集やピアノ・ソナタ集などを録音していて、ヘブラーと言えばモーツァルト、モーツァルトのピアノといえばヘブラー、といった感じであった。ヘブラーのK467は、やはりポーランドの指揮者ロヴィツキが担当している。少し古いが、飾り気のない清楚な感じのモーツァルトは好感を持って懐かしくきくことができる。
はじめて全曲を聞いたのは、アシュケナージの演奏だったと思う。第1楽章と第3楽章は親しみやすい明るい曲だと思ったし、大変好きな曲になったのは確かだが、後年、第23番K488や第27番K595などの、もっと凄い曲を聞くことになって少し存在感が薄れてしまった。あまり聞くことがなくなったのである。第2楽章を除いては・・・。
やはりこの曲は第2楽章の個性的で無二の美しさに尽きると思う。アンダンテの静かな低弦のピチカートに乗ってヴァイオリン・パートがこの上もなく美しい旋律を引き始めると、いい演奏ならどこか違う世界に入っていく。その旋律はそのままピアノに引き継がれる。ここはさらっと弾かないでほしい。何せ別の世界なのだから・・・。
やがて主題が変調し、ほのかに暗い色彩を帯びるあたりはピアノ協奏曲の真骨頂とも言うべき瞬間の連続で、ここもさらっとやらないでほしい。さらっとやるとムード音楽のようになってしまう。それでもいい曲であることには違いないのだが・・・。装飾音は演奏家の趣味だが、あまり天真爛漫にやられるのを私は好まない。清楚に、静かに、一音一音に思いを込めて・・・。
今年のお正月は満月で始まった。月が輝く夜空を眺めながら、夜の街を歩いた。吹く風は穏やかで、多くの人が犬を連れたりジョギングをしたり、思い思いの時間を過ごしている。平成30年の幕開きはあくまで平穏で、そして幸福感に満ちているように思われた。
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