2018年1月25日木曜日

モーツァルト:ピアノ協奏曲第26番ニ長調K537「戴冠式」(P:内田光子、ジェフリー・テイト指揮イギリス室内管弦楽団)

無機的だとか、出来損ないだとか、手抜きだとか、何と言われようと私は「戴冠式」と呼ばれるピアノ協奏曲が好きである。理由はいくつかある。まず第一にとても親しみやすく、聞いていて飽きないということだ。特に聞いていて疲れない。第二に、おそらく誰が演奏してもそこそこの演奏になると思う。そして第三には、この曲の持つ伸びやかな楽天性と、行進曲のようなメロディーが好きだからだ。

だからこの曲はシンプルで、簡単すぎる。つまりは深みに欠ける、と言われる。だがまさにそれゆえに、私はこの曲を好む。そもそも考えてみれば、いつから音楽を難しく聞くようになったのだろうか?クラシック音楽は、考えなければわからない、頭で聞くべきだと言われる。私もそう思う。理由は簡単で、そのように作曲されたからだ。ちゃんと頭を使って理解するように作られた音楽。だがそのような難しさ・・・芸術性を持つのはベートーヴェンの中期以降、マーラーまでではないか。

モーツァルトのすべての音楽はそれ以前に作曲された。この時代はまだ、音楽は感性で聞けば良かった。そしてそれは20世紀なって復活する。すなわち音楽が、本来の音楽に戻ったと言ってよい。19世紀の音楽はそういう意味で特殊である。その時代に作曲された「クラシック音楽」は、それゆえに面白い。

モーツァルトの音楽を19世紀を経たあとで聞いている。そしてそこにあるのは、まだ音楽が難しい衣をまとっていなかった時代の光景だ。天衣無縫、天真爛漫な音楽は、そのように聞けばいい。その証拠に、この「戴冠式」というタイトルが付けられた音楽が作曲された時、モーツァルトは失意と絶望のどん族にあった。

予約演奏会のチケットが売れないから作曲ができない。作曲ができないから演奏されない。そういう日々が続き、この曲はたまたま フランクフルトで行われた神聖ローマ皇帝レオポルト2世の戴冠式で演奏された。だからこういうタイトルがついている。

クラシック好きがしばしば陥るつまらない問題は、音楽に必要以上の解釈を付け加えようとすることである。これを回避するひとつの方法は、演奏家と同じような音楽的知識をもつことだ。なぜ「戴冠式」はニ長調か、はたまた第2楽章に左手のパートがない問題をどうするのか。

だがそんなことは専門家に任せておけばよく、モーツァルトの研究者なら追及する価値があるのだろうが、リスナーとしては何もそこまでしなくてもこの曲は楽しい。第一冒頭からうきうきするメロディーだし、第2楽章はこんなに簡単なメロディーが、何でこんなに美しいのか、と信じられない。そして第3楽章は再び愉悦の連続!

何を隠そう私はこの曲でモーツァルトのピアノ曲を知った。それはヘブラーの演奏する「戴冠式」だった。こんなに素敵な曲が、何て楽しいのだろう!だがそのLPレコードに書かれていた解説には、信じられないことが書かれていた。「この曲は音楽的価値に乏しく、従って他の作品からは一段低いとみなされている」 云々。もちろん「それはモーツァルトという天才作曲家のレベルでの話だが」とか何とか断ってあったとも思う。だが子供の私には信じられなかった。「えっ、どうして?こんないい曲が?」カップリングされた第27番よりも、実際のところ印象的だった。

だから私は自分の小遣いで2番目に買ったCDが、内田光子の演奏するこの曲の新譜だった。もっとも私はこのイギリス生まれウィーン育ちの日本人ピアニストをよく知らなかった。メジャー・レーベルで、全曲録音を進行中の彼女は、海外での方がよく知られた音楽家だった。私の買ったCDも輸入盤だった。

当時私はまだ「レコード芸術」などという雑誌をたまには読んでいて、そこに連載されていた吉田秀和氏のエッセイなども目にしていた。あまり深く読むことはなかったのだが、その月はどういうわけか、このCDを取り上げていて、私は深く読み込んだ。そして内田光子のピアノのことが詳しく書かれていたのを覚えている。第2楽章の装飾音の付け方が独特で、それは賛否あるようなのだが、この第26番に関する限り私はとてもチャーミングだと思う。ちょっと失礼な言い方かも知れないが、やや知が勝る彼女の音楽に対し、このモーツァルトの簡単な音楽は、よく中和され似合っている。

テイトはここで実によくやっている・・・とかいうフレーズに私はこの演奏の購入を決意した。伴奏の良さは、見逃せない要素だからだ。もっともいい演奏は多い。第一に思い出すのはペライアで、同じオーケストラを弾き振りしている。もしかするとこちらの方が完成度は高いかも知れないが、録音が硬い。第二にはヤンドーのナクソス盤。誰も褒めないが私は気に入っている。そしてカザドシュはそうとは気づかないほどの卓越したテクニックで第3楽章などとても速い。ヘブラーは明るく陽気。そしてグルダのアーノンクール盤は、これだけ聞き古してもなお新しい風を吹き込むことができることを証明した。

こんな魅力的な曲の評価がどうして低いのか、私にはよくわからない。

0 件のコメント:

コメントを投稿

ブラームス:「ハイドンの主題による変奏曲」変ロ長調作品56a(クリストフ・フォン・ドホナーニ指揮クリーヴランド管弦楽団)

ブラームスの今一つの管弦楽作品「ハイドンの主題による変奏曲」は、ハイドンの作品を元にしたものではない。ハイドンの作品とされていた頃のディヴェルティメント第46番変ロ長調Hob.II.46の第2楽章を題材としている。この曲は「聖アントニウス」というタイトルが付けられているように、古...