
鳴り響いたオーケストラは何か劇の幕開きのようである。音階は上下に階段状に上がったり下がったりしながら、ほれぼれするような自発性と輝きを放つ。私はベートーヴェンの「皇帝」のピアノ協奏曲などのモデルになったのではないか、などと想像してみたりするのだが、意外なことにこの曲を実演で聞く機会は少なく、そして録音もどういうわけか少ない。
私がモーツァルトの20番以降の作品で、最後に触れたのもこの第25番であった。なぜだろうか。これも私の個人的感想でしかないが、どうもカラフルな第1楽章に比べると、残りの2つの楽章は少し地味である。それでも私は、第2楽章を最近好んで聞いている。例えば昨日は、中山道を熊谷から深谷まで歩いたのだが、まるで春のような陽気の中、田園地帯を歩きながらこの曲を聞いていた。蝶々が飛んできそうな、そんな気分にさせられる瞬間があった。静と動の妙味とでも言おうか。遠くに北関東の山々が見える。
その時持ち歩いた演奏は、リチャード・グードによるもので、この曲を含めピアノ協奏曲を10曲集めた5枚組のCDは、なかなか素晴らしい出来栄えである。グードと言えばベートーヴェンのピアノ・ソナタ全集がすこぶる有名だが、そのグードがオルフェウス管弦楽団と競演して、すばらしく完成度の高いライヴを繰り広げていた90年代後半の記録である。ベートーヴェンを得意にしているピアニストによる第25番というのが、なかなかいい。
実際この第25番と第23番は出色の出来栄えで、第23番は1981年の古い録音も収録されている。オルフェウス管弦楽団は指揮者のいないオーケストラであることから、これは弾き振りというわけではなく、室内楽的にお互いの呼吸を合わせた結果の演奏である。ところが音楽が小さくなったり、息苦しくなったりしていない。それどころかこの第25番に相応しい堂々とした風格も感じさせる。まさに驚異的というほかない。そしてグードのピアノのほれぼれとするテクニックは、能動的で安定感のある伴奏に乗って、ストレートな音楽を表現している。それが第25番にこそ相応しいのだ。
ベートーヴェンがこの曲をどう聞いたかわからないが、想像するに技巧派ピアニストとしてモーツァルトの後継たらんとした彼は、モーツァルトの音楽をよく研究したに違いない。第20番に彼のカデンツァが残されていることからも、それは明らかだ。だがベートーヴェンがウィーンで活躍を始める頃、すでにモーツァルトの人気は凋落し、早世してしまう。モーツァルトのピアノ協奏曲第25番は長年埋もれたままとなり、モーツァルト自身ピアノ協奏曲からは遠ざかってしまう。無機質と言われる「戴冠式」と、そして天国のつぶやきである第27番を除いて。
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