真っ白いキャンバスにひとひらの蝶。私がこのモーツァルト最後のピアノ協奏曲からイメージするのは、このような光景だ。もし自分が亡くなったら、告別式で流して欲しいと思った曲、それがこのK595である。いまから16年以上前、生死の間を彷徨うことになる大病を患った。いつ終わるかもわからない治療が始まるという時、入院前にCDを何枚か持っていこうと思い、迷わず選んだのがこの曲だ。その思いは今でも変わっていない。
演奏も決まっている。ソビエトのピアニスト、エミール・ギレリスがベームと組んだ一枚。オーケストラは勿論ウィーン・フィル。1973年、ドイツ・グラモフォンの録音。カップリングされた「2台のピアノのための協奏曲」とともに数少ないギレリスのモーツァルトだが、これがこの曲の中では最高の名演に入るのではないか。ここで私は、ベームがバックハウスとともに録音したこの曲の、またひとつの最高峰とされる演奏を聞いたことがない。だが少なくとも現時点では、その必要がない、というか、これ以上の演奏に接するのを避けているというのが正確な表現か。
だから、これは極めて個人的なこだわりのある演奏である。だがそれと同時に、客観的に見ても、この曲の持つ特別な意味と感覚を、ひときわ優れて表現していると思う。穏やかで清らか、静謐で、それでいて表情の子細な変化に微妙に寄り添う音楽への慈しみ、そして生に対する愛おしみ。モーツァルトが死のわずか11か月前、友人のクラリネット奏者のために書いた曲は、予約演奏会のために順風満帆の作曲生活を送っていた頃とは全く違う、いわば個人的な思いのこもった曲だと信じたい。
つぶやくように繊細なピアノの音色は、決して大きな音を出すことのないオーケストラの全体やソロに合わさると、急にその表情を変える。モノローグの隙間にそっと現れる光と影の移り変わりに、聞き手は心をぎゅっと締め付けられる。そしてモーツァルトの凄いところは、それをまるで子供でも弾けそうな簡単なフレーズでやってのけるところだ。余計な装飾音はないほうがいい。
第1楽章。そっと南風が吹いてくるように始まるオーケストラは、ときにぷっつり途切れる。最初聞いた時は、どうしてそうなるのかわからなかった。でもまたその風は、同じようにやわらかく吹いてきて、やさしく頬を撫でる。だがこれは冬の音楽である。春のような音楽にしてしまうのは良くない。少し冷たい風、ちょうど今頃の季節である。
第2楽章のピアノが、独り言をつぶやくように、おもむろに主題を弾き始める時、得も言えぬような心の安らぎを覚える。同じメロディーを繰り返すオーケストラは、ピアノと同じ気持ちでここを奏でる必要がある。ピアノとオーケストラは平行して同じ感覚で歌い、両者は共にひとつの平和な世界に入ってゆくのだが、決して交わることはない。人と人がどんなに愛し合っても、分かり合うことがないように。ピアノの音はオーケストラからは独立しており、そのことが聞くものの孤独感を強める。だが決して淋しくはなく、そう思うことで、いっそ幸福に満ちているのがこの曲の持つ不思議な力だ。
第3楽章はもう諦観の境地である。この吹っ切れたような遊びの感覚は、まるで子供の時代の断片的な光景を回想するかのようだ。もしかしたら死の直前は、そのような感覚になるのだろうか。いや、こういうことを書くのはやめておこう。これはひとつの想像に過ぎないのだから。音楽をどう聴こうと勝手である。だがこの曲を「天国の門」と呼んだアインシュタインの言葉を知るようになるより前から、私はこの曲をまさにそのようだと思っていた。
ギレリスのピアノとベームの伴奏は、このような感覚にピッタリで、これとは違う演奏に出くわすことにためらいを感じている。この曲の壊されたくないイメージを、私はこれからもずっと持ち続けて行くだろう。だから、この演奏が持つ要素を欠いた演奏に出会うと、私はほっとする。そしてこの曲や演奏について、何かを書くことほど勇気のいることはない。ギレリスによるK595は、そっとしておいてもらいたい個人的な宝物である。
「春への憧れ」は、命への憧憬である。だからこの曲は、まだ春が遠い冬の、よく晴れた日に似合うと思う。丸で今日の東京のような日だ。そして今日1月27日こそ、まさにウォルフガング・アマデウス・モーツァルトの誕生日である。
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