ピアノ協奏曲第24番K491の特徴は、まず第一に短調であるということ。短調のピアノ協奏曲は第20番K466とこの曲のみである。次に、第22番K482、第23番K488でオーボエを外し、クラリネットを採用していた編成は、再びオーボエが復活、さらにティンパニやトランペットも加わって大規模なものとなっている。この傾向は次の第25番で一層顕著である。作曲年代は第25番とともに1786年とされており、このあとしばらくはピアノ協奏曲から遠ざかるため、いわばウィーン時代の中期の最後の作品のひとつということになる。
同じ短調とは言ってもK466がとても激情的であるのに対し、K491はどこか悲しく、暗い。けれどもその中に抒情的なパッセージが溢れていて、私は結構好きである。そして私はこの曲に、どうしてもベートーヴェンを見てしまう。もしかしたらこの曲はベートーヴェンが好み、研究した作品ではないか。次の第25番についても、「ダダダダーン」の運命の動機が頻繁に出てくる。これらの二つの曲を合わせると、ハ短調、運命という流れが垣間見える!
もちろん、これは一愛好家の思い付きである。だがどうしてもあのベートーヴェンのピアノ協奏曲につながるような雰囲気を感じてしまう。第1楽章の出だしは陰鬱だが、独奏が出てくるとほんのりとロマンチックな香りがしてくる。
第2楽章のやさしさに溢れるメロディーも、ベートーヴェンを聞いているときに出会うような主題だが、ここを静かに、散歩しながら聞くのが好きである。もっとも木管楽器との触れ合いは、モーツァルトならではのものと思う。冒頭いきなりピアノの旋律が聞こえるのも珍しい。
第3楽章はちょっと冴えない。ここで聞く音楽は、ちっとも楽しくない。でもそれはロマン派へと向かう一里塚のような気がする。だからではないが、私がここで取り上げるキーシンによる演奏は、シューマンのピアノ協奏曲とカップリングされてリリースされ、ちょっと目を引いた。キーシンは他にもモーツァルトのピアノ協奏曲を録音しているが、モーツァルト以外の作品と一緒に発売されたのはこの録音だけだろう。
伴奏がコリン・デイヴィス指揮のロンドン交響楽団で、申し分がないばかりか、音楽が実にピアノに溶け合って、骨格のしっかりした中にピアノがブレンドされている。もしかするとライヴの録音レベルが低く、そのことがこのCDの魅力を損ねてしまっている。スピーカーで聞くと、遠くで鳴っている感じである。だがヘッドフォンで聞くと、音楽の細部まで聞こえてきて甚だ好ましい。
第2楽章などショパンを聞いているような気がしてくるキーシンのモーツァルトに私は好意的だが、決して表面的に綺麗な演奏に終始しているわけではない。 キーシンがデビューした頃、あの小さな体で堂々とした音楽をするものだと感心したのを覚えている。モーツァルトでもそういう側面は存分に維持されていて、デイヴィスの大規模な伴奏とうまく噛み合わさることで、重厚さを持った影のあるモーツァルトを立派に美しく演奏している。
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