モーツァルトのピアノ協奏曲を聞くと、いつも息子が生まれたときのことを思い出す。良く晴れた冬の寒い日の朝のことだった。陣痛が始まると妻は、モーツァルトを聞きたいと言った(妻の誕生日はモーツァルトと同じ1月27日である)。慌てて私は自分のコレクションのなかから、とりわけ妻が好きだと言うホルン協奏曲集と、それだけでは時間が持たないと思い、ペライアの協奏曲全集を鞄に入れ、タクシーに乗り込んだ。
病院に着くと看護婦が、CDプレーヤーを持ってきてくれた。好きな音楽をかけてもいいですよ、と言う。丁度良かったと思った。私はまずホルン協奏曲を部屋に流し、それが終わるとピアノ協奏曲を片っ端からかけていった。ただし短調の曲を除いて。
何時間たったかは覚えていないが、第22番の時だった。息子は無事、産声を上げた。だから息子はモーツァルトを聞きながら生まれてきた、ということになる。もっとも妻はそれどころではなく、ほとんど覚えていないようだ。
第22番の協奏曲を、それまで私は注意深く聞いたことはなかった。病院でも落ち着いて聞くとはできなかった。そのため、私は翌日に妻を見舞う際、渋谷にあったCDショップへ立ち寄り、違う演奏のこの曲を探した。その時出会ったのが内田光子による演奏である。以後私はこの曲を、長い間内田光子の演奏で聞いていた。内田のモーツァルト全集は、ジェフリー・テイトの上手い指揮と、よく考えられたピアノによって高い完成度を誇る演奏である。私も何枚か持っていたが、この第22番と第23番をカップリングした一枚が、このような経緯でコレクションに加わった。
目立たないが、とても味わい深く、そして適度に愉悦に満ちた曲。それがこの変ホ長調協奏曲の印象だった。私のK482を巡る旅が始まった。第1楽章の喜びに満ちたテンポ、第2楽章の歌うようなメロディー、第3楽章の自信に満ちたリズム。この曲を聞けば聞くほど、すべてのピアノ協奏曲の中でも引けを取らない魅力が満載であることを発見する。
その中で全集の中に埋もれてはいるが、ダニエル・バレンボイムが弾き振りをした最初の録音からの一枚が、非常に感動的である。というのもこの演奏には、他の演奏にはない魅力が全体を通して溢れている、と感じられるからだ。バレンボイムはおそらく、確信に満ちてこの曲を演奏したのではないかと思う。それは通常になくロマンチックで、それでいて情に溺れない。第1楽章からわずかにテンポが揺れるが、それも計算されていると思われる。少なくともオーケストラが揃わないわけではない。
第2楽章のゆったりとした深い味わいに、憑かれない人はいないだろう。この曲はこうあってほしいと思っている聞き手を、完全にノックアウトする演奏である。イギリス室内管弦楽団も、木管楽器のセクションを中心に歩調を合わせ、時には十分に呼吸し、またある時にはそれを溜めて見せる。ピアノが比較的長く休止する部分でも、指揮者としてのバレンボイムは力を抜くことなく、実に見事だ。
第3楽章がこれほど長く感じられることはない。この楽章だけでひとつの作品であるかのようだ。もちろんそれは、中間部に入ると、それまでとは対照的なまたひとつの世界が広がるからである。ここが小さな緩徐楽章とでも言うほどに大きく存在している。やがて再起される第3楽章の主題は、一度聴いたら忘れられないメロディー・・・評論家の宇野功芳は、映画「アマデウス」で使われたこの曲のシーンについて触れている。20代のモーツァルトがウィーンの街を馬車で走ってゆくシーンは、そう言えばそういうシーンで使われていたように思い出す。
わずか36年の人生を彗星の如く疾走したモーツァルトが、もっとも光輝いていた時期にこの曲は作られた。自信に満ち、喜びに溢れた音楽が、何よりもそのことを物語っている。だが「明るければ明るいほど、なぜかモーツァルトは哀しくなる」(講談社「宇野功芳のクラシック名曲名盤総集版」より)。
快晴の冬空に響くモーツァルト。その調べとともに生まれた長男も、もうすぐ12歳になる。
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