ピアニストのレオン・フライシャーは私がクラシック音楽を聴き始めた頃にはすでに、右手が不自由だったようで、伝説的な存在だったと記憶している。1960年代の録音にはとてもいいものがあり、オーマンディの指揮するレコードなどで有名だった。ピアニストの右手が使えないということは、左手で弾くしかないということだが、左手のためのレパートリーがいくつかあり、そのひとつがブリテンの「ピアノ(左手)と管弦楽のためのディヴァージョンズ」である。
1992年にSONY Classicalによって録音されたレオン・フライシャーによる左手のための協奏曲集は、今聞いてもとても録音もよく、私にとってのお気に入りのCDである。けれども有名なラヴェルの「左手のための協奏曲」をたまに聞くだけで、このブリテンの曲はほとんど聞いたことがなかった。それから20年が経過し、今になってやっとブリテンの一連の曲を聞いてみる時が来た。伴奏は小澤征爾指揮のボストン交響楽団で、SONYへの録音は珍しいが、これはフライシャーの昔の録音がCBSより出ていたことを考えると何とも嬉しいものだ。
曲はまず、オーケストラが遠くの方から近づくようにクレッシェンドしていくさまから始まる。小澤のリズムが迫力を得てせまってくると、わずか1分でこの曲に取り込まれてしまう。何とも見事な開始である。この「主題」につづいて全部で11曲の変奏が順に演奏される。どれも特徴があって聞き応えがあり、飽きさせない。
第1変奏 レチタティーヴォ
第2変奏 ロマンス
第3変奏 行進曲
第4変奏 アラベスク
第5変奏 聖歌
第6変奏 夜想曲
第7変奏 バディネリ
第8変奏 ブルレスク
第9変奏 トッカータ
第10変奏 アダージョ
第11変奏 タランテラ
第1変奏ではピアノとしての開始音楽といった感じで、タララララと見事なソロの部分でオーケストラは休止。ピアノとオーケストラが交わるのは第2変奏「ロマンス」からだが、オーケストラの静かな伴奏に乗って、何か海を行く船のように心地良い。
第3変奏「マーチ」になると一気に盛り上がる。第4変奏の「アラベスク」あたりで内省的な感じの曲に変わっていく。アラベスクとはイスラムの模様のことだ。だがブリテンの音楽は何か知性が上回っていて、感情に溺れるようなところがないのがイギリス風。静かな第5変奏「聖歌」は、それでもロマンチックではある。
第6変奏「ノクチュルヌ(夜想曲)」では、バイオリンやフルートのソロがピアノにからみ合って、夜の雰囲気を出している。なかなかいい曲。第7変奏は「バディネリ」。軽快で速い2拍子の舞曲。ピチカートが効いている。第8変奏「ブルレスケ」。音楽辞典で索くと「ユーモアと辛辣さを兼ね備えた、剽軽でおどけた性格の楽曲」となっている。
第9変奏「トッカータ」の前半20世紀のリズムが満開。カデンツァになだれ込み、第10変奏「アダージョ」へと続く。この第10変奏「アダージョ」は比較的長い。幻想的。それは最終章であるフィナーレを盛り上げるためのようにも感じられる。
第11変奏「タランテラ」は凄い。テンポの速い円舞曲で3拍子だが、ここでの小澤の指揮は恐ろしいくらいに集中力がある。興奮の中をクライマックスを築き、一気に曲が終わる。小澤とボストン交響楽団の良さが現れた名演だが、もちろんフライシャーのピアノが見事に合っている。
フライシャーは2000年代に入って見事に右手が復活し、ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団との競演も予定されているようだ。
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