2023年3月5日日曜日

シベリウス:交響曲第2番ニ長調作品43(ユージン・オーマンディ指揮フィラデルフィア管弦楽団)

シベリウスの交響曲第2番は、全7曲中で最も有名かつ親しみやすい交響曲だと言われてきた。録音の数も多いし、私が最初に聞いたのもこの第2番だった。名曲解説のような書籍には、シベリウスの交響曲といえばこの第2番のみが取り上げられていることも多く、この作品がシベリウスの特徴を最も良くあらわした優秀な作品と思っていた。だが、そうではない。むしろ交響曲第3番以降にこそ、真のシベリウスらしさが感じ取れる。けれども第3番以降の作品を聞く機会はそう多くはなく、たまにFM放送で流れることがあくくらいだった。かつてシベリウスはまだ、良く知られていない作曲家だった。

その交響曲第2番の解説では、どうも北欧の風景や気候に関連して語られることが多い。フォンランドらしいムードが、この代表曲において鑑賞すべきポイントのごとく言われ、なるほどそういうものかなどと思っていたのだが、必ずしもこの指摘は的を得ていない。なぜならこの曲は、シベリウスがイタリアを旅行した際に書き始められているからだ。ニ長調という元気で明るい調性で書かれていることもある。元来イタリアを旅し、イタリアに触発された作曲家は数知れず、古くはヘンデル、モーツァルトからブラームスやチャイコフスキー、それにワーグナーやリストに至るまで、名作曲家と言われるにはイタリアを知らなければならないとさえ言えるほどだ。そしてシベリウスも北欧から、イタリアを目指した。

そのシベリウスが、この曲のどの部分にイタリア的なるものを取り入れたかは、音楽の専門家に譲るとして、素人の私が感じるのは作品が持つ楽天的な明るさだと思う。第1楽章冒頭の、まるで春の野を行くような浮き浮きしたリズムと旋律は、何故か一度聞いただけで忘れることがない。また第2楽章は、フィレンツェやローマでの印象が影響しているそうだ。なるほどそう思って聞くと、このピチカートで始まる第2楽章の、しっとりと美しいメロディー、とりわけ第2主題が繰り返される最終部分での落ち着いた部分は、懐かしく淋しい。急速で荒々しいスタートを切るのが第3楽章で、スケルツォと言ってもいいのかも知れない。ここからはフィンランドに帰って作曲したシベリウスの、北欧節が始まる。とはいえトリオの部分では、まるで第2楽章のような美しいメロディーが回顧される。

私が初めてこの曲を聞いたのは、第4楽章の一部をバーンスタイン指揮ニューヨーク・フィルハーモニックによって、であった。時間はわずか50秒程度だったが、広大に広がるその旋律に大きな感動を覚えた。一度通して聞いてみたいと思った私は、我が家の数十枚ほどのLPレコード棚を漁ってみた。するとそこには、カラヤンがフィルハーモニー管弦楽団を指揮した初期のステレオ録音のレコードが見つかった。ジャケットはまだ若い(40代?)カラヤンの写真だった。だがこの写真自体も古めかしく、どこか絵画風。演奏も左右の分離が悪く、冴えない演奏に聞こえた。流れるようなカラヤンの音楽が、無骨な角を削り、薄っぺらな演奏に思えたのだった(あとからこの演奏を聞いてみると、これはこれで聞きごたえのある名演だと思った)。

当時の音楽雑誌などで、シベリウスの2番と言えば、何と言ってもオーマンディである。この頃、まだパーヴォ・ベルグルンドのような指揮者はほとんど知られていない。カラヤン・コンクールに優勝したフィンランド人のオッコ・カムが、ベルリン・フィルと演奏したレコード(これは廉価版だった)が評判ではあったが、あとは我が国の第1人者渡邊暁雄くらい。そして私は、オーマンディの演奏を聞いてみたいと思った。オーマンディは個人的にもシベリウスと親交があり、ある時アメリカで車を運転していたシベリウスが、ラジオから聞こえてくる自分の曲の演奏に感心し、それがオーマンディの演奏だったというエピソードはこかで聞いたことがある。

オーマンディのシベ2には新旧2種類の演奏が存在し、どちらが良いかは意見の分かれるところである。方やCBSから、方やRCAから、それぞれリリースされていたが、後を受け継いだSONYとBMGが統合され、両者は単一のボックス・セットに収録されてリリースされることとなった。ここでリマスターにより音質が向上したかどうかが、コレクターの注目点のようだが、私はそこまで詳しくはない。かつて私が中学生の頃、豊中市の図書館に出かけてオーマンディのLPを発見したとき、それは確かCBSソニーの、すなわち古い方の録音だった。さっそく我が家のオーディオ装置で聞いた限りでは、いかにも平凡な演奏に感じたが、それはオーディオ装置があまりに貧弱であったからだ。

あれから半世紀以上が経ち、他にも沢山の演奏がディスコグラフィに掲載されているが、新旧2つのオーマンディの演奏は、今もって色あせることなく高評価を得ているのは驚くべきことだ。私も久しぶりに、古い方の演奏を聞いてみた。改めて思うのは、この曲の親しみやすさである。どこかベートーヴェンの第5交響曲を思わせるような、各楽章に印象的なモチーフをうまくアレンジしていく様や、第3楽章と第4楽章を切れ目なく演奏し、第4楽章の主題が次第にクレッシェンドしながら、急に明るく登場するあたりである。大団円を迎える終楽章の、喜びに満ちた音楽は果てしなく雄大で、いつまで聞いていたくなりような勝利の音楽である。

オーマンディの演奏に関して言えば、緩徐楽章の美しさは新しい方の(1972年)、第3楽章以降の引き締まった感覚は旧い方の演奏(1957年)がいい。どちらにせよフィラデルフィア・サウンドが楽しめる。北欧の音楽に米国の華麗な演奏は、変わった取り合わせのように思った時もあったが、古いヨーロッパではなく、新しいヨーロッパ感覚に近いのはアメリカ文化だと思う。ペンシルベニア州を私もくまなくドライブしたが、フィラデルフィアのような大都会(ここは独立当時の首都だった)から少し離れると、アパラチア山脈に牧歌地帯が広がる。南部と北部の境界は、ピッツバーグを経て中西部まで延々と続く。目立たないが、アメリカの大動脈がここを貫いている。

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