2023年3月26日日曜日

新日本フィルハーモニー交響楽団創立50周年特別演奏会(2023年3月25日すみだトリフォニーホール、上岡敏之指揮)

誤解を恐れず言えば史上最も美しい音楽を作曲したのは、ブルックナーではないかと思う。だからブルックナー以降の作曲家は、美しい音楽を書く勝負ができなくなった。そのブルックナーの作品の中で最も美しいものはと聞かれたら、私は第8交響曲の第3楽章と答えるだろう。この「深い思索性を湛えた長大な緩徐楽章で、特に動きが少なく息の長い旋律がゆったりと歌われる第1主題」での、ハープの加わる瞬間!ここのメロディーを実演で聞くとき、果たして涙を禁じえようか。もちろんどんな演奏でもいいというわけではない。だが、ブルックナーの音楽はそれほど難解なものではない、むしろそれとは真逆の、極めて分かりやすい音楽のように思う。いや、今回初めて第8交響曲の、私のブルックナー鑑賞史上最高の演奏に接して、そう思ったのだ。

まだ公演の感動が冷め切らない時間に、これから書く文章がどれほど的を得ているか、いささか自信はない。だが、冷静に考えることができたとして、今回の演奏は現在望むことができる最上の演奏のひとつだった。いやそれは世界的に見ても、である。まず、新日本フィルがこれほど上手いと思ったのは初めてだ。こんないい音がしていたことは、少なくとも私の知る限り、ない(と言っても今回がわずかに10回目の経験に過ぎないいのだが)。上岡敏之という指揮者は、2度目である。前回は今から4年前の2019年で、この時はワーグナーを聞いている。その演奏も非常に印象的だったとブログには興奮に満ちて書き残している。久しぶりに読み返してみると、次はブルックナーが聞きたいと書いている。

そのブルックナーは、コロナ禍によって延期を余儀なくされた。上岡自身もこの間に新日フィルの音楽監督を辞任し、いつのまにか佐渡裕に変わってしまった。コロナの非日常は上岡のブルックナーを聞く機会を、ついに奪ってしまったかのように思われた。が、何と今回、新日本フィルは創立50周年記念の特別演奏会に彼のブルックナーを企画し、コロナ禍で中止を余儀なくされた交響曲第8番をプログラムに組んだのだった。

そのことを直前に知った私は、ダメもとでチケットを検索したところ3階席が新たに売り出されていることが判明。もう売り切れと覚悟していた私は、何と直前にチケットにありつけたという次第。場所は錦糸町のすみだトリフォニーホール。朝から冷たい雨の降る土曜日の午後に合わせ、私は体調を整え、万全を期して会場へと足を運んだ。

会場の入り口では熱心なファンがポスターなどの記念撮影をしており、今回の演奏会がいつもとは違う雰囲気に包まれていることがわかった。特別演奏会なので、特に聞きたい人だけがチケットを買い求め、その演目がブルックナーの第8番となれば、よほど経験豊富な音楽好きだろうと思う。スター指揮者の来日公演とも違って、ミーハーな金持ちもいない。東京でのブルックナーの人気もワーグナーを凌ぐのではないかと思うほどで、かつてはヴァントやチェリビダッケのような指揮者が名演奏を繰り広げて語り草となっている。私はと言えば、残念ながら購入したチェリビダッケの演奏会がキャンセルになり、ヴァントの来日公演はプレイガイドの電話がつながらず断念。第8番はかつてニューヨークで聞いたバレンボイム指揮シカゴ響の落ち着かない演奏と、スクロヴァチェフスキー指揮NHK交響楽団によるものだけで、こちらの演奏もNHKホール3階席で聞いたこともあり、印象がほとんど残っていない。

公演の始まる午後2時になって席に着き、やがてオーケストラが入場してチューニングが始まると、一気に会場は静まり返った。季節の変わり目のこの時期、花粉症や風邪で咳をする人が後を絶たないことも多い中で、今日のコンサートにおける客席の静かさは特筆すべきものだった。おそらく90分近い演奏時間中、楽章間の継ぎ目を含め、一切の咳が聞こえてこなかったのである。そうして長い時間、ずっと緊張感が維持されることとなったのだ。このことが演奏に与えた影響は少なくなかったと思う。今日のコンサートの成功の一つの理由は、この聴衆の水を打ったような静けさと、演奏に対する熱い期待であった。

ブルックナーはピアニッシモからフォルティッシモに至るまで、とことん綺麗な音で響かないといけない。これはオーケストラに技量だけでなく、かなりの重圧を強いることとなるように思う。しかもそれがただ美しいだけではなく、音の重なりが最適でひとつの弧を描くようなつながりで表現される必要がある。長いフレーズの間中、音楽が途切れたりしてはならない。ブルックナーに特徴的な長い休止(いわゆるブルックナー休止)も、その意味で音楽の一部である。その休止を挟んで、音楽は「途切れなく」続く。だからこの休止において、客席からノイズが聞こえてはならないのだ。

私がニューヨークで聞いたバレンボイムの演奏は、(ニューヨークではいつもそうなのだが)聴衆が騒々しい。そういうことがあると、音楽もそのように雑然としはじめる。するとマーラーと違ってブルックナーの音楽は簡単に壊れてしまい、散漫な音の洪水が起こるだけになってしまう。いや、そういう壊れやすい音楽の機微を知っている聴衆が演奏家とともに作り上げることができれば、そこに少々の演奏上のほころびがあっても大丈夫だ。だから音楽の良し悪しを決めるのは、音楽に向き合う聴衆と演奏家の真摯な共同作業ということにつきるだろう。そして今回の演奏会は、その必要条件を冒頭からクリアしていた。

第1楽章の第1音が鳴った瞬間から並々ならぬものが感じられ、それは上岡の得意とする微弱音の時も丁寧に維持された。細部にまで念入りに神経が行き届き、音色はフレーズごとに表情を変える。微妙な変化を静寂の中で聞き取る。するとそこにはヨーロッパの最も美しい風景が目の前に広がってくる。山に光が当たり、その明るさは時間とともに少しずつ変化する。調和を保ちながら、壮大な調べが世界にこだまする。第1楽章が消え入るよに終わった時にはもう、会場にいたすべての聴衆が、深いため息をついたに違いない。

第2楽章はスケルツォ。私はすみだトリフォニーホールに足を運ぶことは極めて少ないが、それはこのホールで聞いた演奏にこれでいいものがなかったたらである。多くが新日フィルであることは言うまでもないが、もしかするとホールのせいだろうかとも思った。でもそれは間違いだったようだ。今回聞いたブルックナーでの残響は、休止の間に消えてゆく音の減衰速度まで綺麗に聞こえたのだ。上岡のブルックナーは遅いことで有名だそうだが、この第2楽章はその違いが良く表れると思う。手持ちのショルティの演奏などここはめっぽう早いが、私は遅いのが好みだから上岡の演奏には大いに好感が持てるのである。

そして全体の白眉であり、頂点でもある第3楽章については、もはや何を語ってよいのかわからない。舞台袖に構えた2台のハープからは、それは心を洗われるような音色が弦楽器に溶け込んだ。上岡の音楽は遅いだけではなく、ちゃんと各楽器が明瞭に聞こえてくる。それも雑味のない音である。音楽が最高潮に達したシンバルの音も、ちゃんとオーケストラの中に溶け込み、「音楽」として鳴った。満を持しての大音量だった。これほど綺麗なフォルティッシモを私は聞いたことがない。ただひたすら美しい音楽は白痴的ですらある。しかしその美しさが際立つと、どういうわけかこの上なく幸せな気分が心に充満し、胸が熱くなって涙腺が緩んでいくのである!このような体験は、ブルックナーで稀に起こる現象だと言える。過去を振りかえり、苦しさや寂しさを思って泣ける音楽もあるが、ここでの涙は少し違う。

90分近くに及ぶこの曲の演奏では、もちろん休憩はない。しかし幾分長めの休止時間を取ったあと第4楽章に入った音楽は、最後の最後まで完璧な演奏を繰り広げた。それまで聞いたことがなかったニュアンスも私には堪能できた。この終楽章は第3楽章に負けず長いので、この両楽章だけで1時間近くに達する。力強く、勝利の音楽は迫力満点だが、それを弛緩させずに聞かせるだけでも想像を絶する技量だと、素人の私はただただ関心するのみ。なぜならそれだけの緊張感を維持できない演奏が多いからだ。力づくでは何ともならないブルックナー独特の特徴が、演奏の良し悪しを分かつのである。しかしこの日の新日フィルは、相当な練習量と気合が入っていたことに加え、上岡のこの曲に対する明晰でゆるぎない理解がオーケストラのすべてのプレイヤーに浸透していた。結果生じた音楽は、最後まで聴衆を頷かせるに十分なものだった。

演奏が終わり、ブラボーが叫ばれる。何度目かのカーテンコールでは、オーケストラの合間を分け入って、木管や金管楽器の奏者とも熱く抱擁を繰り返す指揮者に、会場からは惜しみない拍手が送られた。楽団員が全員退席しても、総立ちの客席の拍手が鳴りやまないのは当然のことだった。コンサートマスターに肩を押されて再度舞台に上がった指揮者は、何度も何度も頭を下げた。この日の演奏は現在聞くことができる日本人によるブルックナー演奏の最高点に達していたと思う。できれば録音して発売してほしいと思ったが、録音マイクはセットされていなかったようだ。残念ではあるが、音楽とはしょせん消え去るもの。どれほど技術が進歩しても、この空気感までをも再現することはできないだろう。まさに一期一会の演奏だった。

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