2023年3月24日金曜日

オーケストラ・アンサンブル金沢第39回東京定期公演(2023年3月22日サントリーホール、広上淳一指揮)

さわやかな春の風が吹き抜けていくコンサートだった。かねてより一度は聞いてみたいと思っていたオーケストラ・アンサンブル金沢は、定期的に東京でも演奏会を開いているので、聞こうと思えばチャンスはいくらでもある。特に2018年に芸術監督となったミンコフスキとの演奏には、私も大いに興味を抱いていたのだが、コロナ禍で演奏会がどうなったかもわからず、気が付いてみると広上淳一が「アーティスティック・ディレクター」とやらに就任していた。

広上と言えば、このコロナ禍に私が何度か出かけ、名演奏に酔った日本人指揮者のひとりである。京響とのマーラーや都響とのベートーヴェンが記憶に新しい。ハーモニカを片手にリハーサルを行い、全身をくねらせて踊りながら指揮をするユニークな姿も印象的だが、そのようにして表現される音楽が極めて正統的でしかも生気に溢れ、耳だけでなく目が離せない。明るく陽気な音楽であることも素敵だが、生理的な説得力がある。音楽はまず楽しくなければならない、という感じである。

その広上の指揮するシューベルトの交響曲第5番、モーツァルトのヴァイオリン協奏曲第4番(独奏:米元響子)、それにベートーヴェンの交響曲第2番がプログラムである。例年よりずいぶん早く桜が満開となった東京で、何と素敵なプログラムだろうと思った。直前にコンサートがあることを知るのはいつものことだが、もちろん今回も当日券があることがわかり、その座席を調べるとP席を含め安い席がまだ売り出されている。サントリーホールはどこで聞いてもいい音がするから、今回はむしろ指揮者が良く見える席にしようと、2階左手の真横に陣取ることにした。

ここのところ2日に1回のペースでコンサートに来ているが、オーケストラの第1音が鳴ったとたんに、広上の音は素敵だと思った。音に艶があって、光っている。オーケストラの技量もいいからか、開放的で弾けている。そうだ、やはりこのようでなくては。どうしても比較してしまうが、大野和士の都響やバッティストーニの東フィルからは聞こえなかった清涼感とリズム感が耳を打つ。これは指揮者の腕だと思う。

そういうわけで、シューベルトがわずか19歳の時に作曲した第5交響曲に私は聞きほれた。まるで小川に水が流れていくように、さらさらと進む音楽は、それ自体非常に瑞々しいのだが、その一音一音の音の表情付けが、また聞いていて嬉しくなるほどに面白いのだ。第2楽章になると、そのことがいっそうよくわかる。

ヴァイオリニストの米元響子は、プロフィールによれば史上最年少でパガニーニ・コンクールに入賞したとのことである。1997年のことだから、もう20年以上も前のことになるのだが、私はこれまで聞いたことがなかった。日本人も今や多くのプレイヤーが国際的に活躍しており、そのすべての人の演奏を聞くことは不可能に近い。白いドレスで登場した彼女は、モーツァルトのヴァイオリン協奏曲を丁寧に演奏した。面白かったのは、ヴァイオリニストが体を揺らしながら演奏するそばで、指揮者も同じように踊っている姿である。だが笑うというのではない。なぜなら聞こえてくる古典派の音楽は、決して歪でもなければ、変に局所を強調するわけでもない。にもかかわらず、細部にまで表情が豊かであることは、その指揮姿と実は表裏一体であろう。

第4番のコンチェルトは、その前後の2曲に比べると地味で目立たないが、この作品も作曲家が19歳の時の作品である。新しい発見だったのは、この曲の各楽章に印象的な独奏部分(カデンツァ)が挟まれていることだ。米元も含め、肩ひじ張らずに自然体の演奏を繰り広げる。何の小細工もない。が、とても新鮮。演奏が終わって拍手が続くと、彼女は何とパガニーニの奇想曲から第24番をアンコールに演奏した。

休憩を挟んでいよいよベートーヴェンとなる。私がここ数年聞き続けてきたベートーヴェンの交響曲も、いよいよ第2番の番となった。この曲、私は大のお気に入りで、とりわけ第2楽章のラルゲットのメロディーを愛するのだが、この曲がまた春の音楽である。第1楽章冒頭の一音から広上節がさく裂し、序奏が終わると一気にほとばしり出る主題は、手を向ける方向を少し変えると音の表情も見事に変化。このシーンはそのまま録画して何度も見てみたいと思うほどだ。ティンパニの強打が心地よく、木管楽器の味わいも絶妙である。

それにしても広上の音楽は、速かったり遅かったりすることがなく、その印象的な指揮姿とは対照的に極めてオーソドックスである。にもかかわらずこれほどの興奮を覚えるのは一種のマジックと言ってよい。ライブではないと味わえないものがあるとも言える。オーケストラも乗ってくる。会場は8割程度の入りで、いつもとは違う客層だった。ネクタイをした人が多く、何となく聞きなれていない感じ。もしかするとスポンサー企業の招待客や地元金沢の人が大勢来ていたのかも知れない。にもかかわらず静まり返った聴衆からは、終演後の大きな拍手が贈られ、一部にはブラボーも飛んだのはコロナが終息してきている証拠である。

マイクを持って挨拶をした指揮者は、このオーケストラが岩城宏之によって創立されたことなどを紹介し、アンコールにレスピーギの曲を演奏した。18時半といういつもより早く始まったコンサートも21時になり、私も幸せな気分でアークヒルズを後にした。

オーケストラ・アンサンブル金沢は、石川県を拠点に活躍する有数の室内オーケストラだが、その設立が1988年とかなり古い。そのことを私は最近知ったのだが、これほど有名になったのは、演奏を記録したCDなどがリリースされ始めた頃だったと思う。それから20年以上が経過し、私も初めて耳にしたその演奏は、世界に引けを取らないほど艶のある魅力的な音色にあると思った。私はこのコンビで、是非ビゼーの交響曲やプロコフィエフ、それにハイドンの作品を聞いてみたい。金沢に住んでいれば、定期会員になりたいとも思った。

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