2023年3月22日水曜日

東京都交響楽団第401回プロムナードコンサート(2023年3月21日サントリーホール、大野和士指揮)

立て続けに都響の演奏会へと足を運んだ。この日のプログラムは、前半がバルトークの「舞踊組曲」とピアノ協奏曲第1番(独奏:ジャン=エフラム・バウゼ)、後半がラヴェルの「クープランの墓」、ドビュッシーの交響詩「海」と盛沢山。指揮は音楽監督の大野和士が今回も登場する。休日のマチネは「プロムナードコンサート」と題された1回限りのものだが、名曲ばかりとは言えなかなか魅力的なプログラムも多く、ここのところ外れがない。バウゼのバルトークは、ジャナンドレア・ノセダとの録音があって、これがなかなかいい演奏である。そしてそれを生で聞ける!

そもそも私はバルトークが苦手だった。しかし初めて「舞踊組曲」を聞いた時、これは行ける、と思った。大学生の頃だった。この時の演奏については別に触れるが、ハンガリーだけでなく、東欧、さらにはアラビア風の民俗音楽までも取り込んだ祝祭的な作品で親しみやすい。舞台の真ん中にはピアノが置かれていて、これは次の曲で使用される。「舞踊組曲」にもピアノが使われるが、これは舞台右奥にあるピアノが使用された。全体に無難な演奏。

20分ほどの曲が終わってオーケストラが引き上げると、曲の途中としては大掛かりなレイアウト変更がなされた。まずティンパニーがピアノの正面(舞台向かって右)に移動。他の打楽器群(小太鼓、大太鼓、シンバルなど)が舞台左手、ピアニストの後に陣取る。普段は奥の方にいて、1階客席からはあまりはっきりとは見えない打楽器群が、ピアノを取り囲むように配置されたのだった。これはバルトークの指示に基づくものだそうだが、実際にこのような配置で演奏するとは限らないようだ。けれども曲が始まると、この配置が相当な効果を生むことが実感できた。

曲はピアノと打楽器のための協奏曲といった風で、複雑に動くリズムと不協和音がどう絡み合っているのかを追うのも困難。それを楽譜通りに演奏する難しさは相当なものだと思う。丁度「春の祭典」(ストラヴィンスキー)を初めて聞いた時にも同じことを思ったが、このような現代音楽の入口にいるような曲を聞くには、全体を大きく把握して、しかも細かい部分にも神経を行きわたらせる必要がある。いわばいかに曲全体を体で覚えているか、といったことが試されてしまう。そしてバウゼのピアノは彼自身が楽器のように体を揺らし、時に手を挙げ打楽器のタイミングに合わせたりする。

そういった打楽器との掛け合いを、私は前から13列目という絶好の位置から楽しむことができた。打楽器とピアノだけが目立つのだが、後の方ではトロンボーンやファゴットのような楽器も相当難しいメロディーを弾いている。そして乗ってくるとこの曲の「カッコ良さ」が実感できる。演奏が終わって相当満足した様子のピアニストは、指揮の大野とともにピアノの前に腰掛け、アンコールに「マ・メール・ロア」の終曲(第5曲「妖精の園」)を連弾で弾くというおまけがついた。

休憩を挟んだ後半には、ピアノと打楽器群が占拠していた舞台から消え、指揮台が前に。通常のオーケストラの配置となったが、面白かったのは前半の対向配置とは違っていたこと。コントラバスは左奥から右奥に移動しており、舞台右袖も第2ヴァイオリンではなくヴィオラ。バルトークとラヴェルで音色を変えるという趣向だが、「クープランの墓」はもう少しメリハリの利いた音色で楽しみたかったというのが率直な印象である。一方、プログラム最後のドビュッシーは大いなる名演奏だったと思う。

しかしそれにしても、何故か腑に落ちないのは、このコンビによる演奏があまり感動を私にもたらさない点である。どこか都響の音も冴えない感じがする。もっともそれは私だけのことかも知れず(そうである可能性は大きいのだが)、特に毎年3月は季節の変わり目ということもあり、毎年体調が悪い。ここのところ寝不足も続いている。それでもコンサートに出かけるのは、例えばこの日のバルトークのピアノ協奏曲第1番などは、もう次にいつ聞けるかもわからないからだ。ドビュッシーの「海」だって、私は過去に一度しか聞いていない(シャイー指揮ロイヤル・コンセルトヘボウ管弦楽団)。まあ東京に住んでいなければ、そもそもこれほど多くの演奏会があるわけでもないので、クラシック音楽というのは時間もお金もかかる趣味だと実感した次第。今月は懲りずにあと2回は演奏会に出かける。そのことについてはまた、あとでここに書かねばならない。 

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