16世紀から17世紀にかけて、ウィーンは何度もトルコ軍に包囲され、その脅威にさらされた。だがそれもモーツァルトの時代にはすでに終止符が打たれていて、その後にトルコ風の文化の影響が残った。ウィーン中にいまでも多く残るカフェもそのひとつだが、音楽の側面においてもこの時期の、すなわちウィーン古典派の作曲家たちの間にトルコ風メロディーが流行る。モーツァルトやベートーヴェン、それにシューベルトまでもが「トルコ行進曲」を書いているし、モーツァルトのオペラ「後宮からの逃走」などは、その軽快なマーチ風リズムをふんだんに織り込んでいる。
ザルツブルクに住んでいたモーツァルトも、そのヴァイオリン協奏曲第5番の終楽章で、トルコ風のリズムを取り入れたのは流行のせいだろう。太鼓やシンバルこそ使われないが、オーケストラのコル・レーニョ奏法のリズムに乗って、独奏ヴァイオリンが印象的なメロディーをかき鳴らす。この曲が「トルコ風」といわれる所以で、初めて聞いた時にもそれとわかる部分であった。
昔の演奏は、第1楽章の冒頭から元気よくしかもおおらかに、この若々しいモーツァルトの音楽を表現しているように思えた。だがそのような演奏家が去り、世代交代が進んで、80年代は名ヴァイオリニストが少ない時代だったように思う。ところが90年代に入り、若い世代が瑞々しい感性で、それまでにはなかった雰囲気の演奏を繰り広げ、その多くが技巧的には、かつての演奏家を凌駕するかの勢いでもあった。
そのような中にあって、1991年に登場した若干24歳のアメリカ人ヴァイオリニストは、当時でも80歳になろうかとしていた名匠ペーター・マーグの安定感のある伴奏によって、のびのびと2つのヴァイオリン協奏曲を録音した。この演奏は、もし昔のSP時代の演奏家のレコードから、ヒス・ノイズを取り除いてデジタル化したら、こういう録音になったのではないだろうかと私を思わせた。雰囲気が何ともレトロなのである。
明るく天真爛漫という風ではないし、かといって技巧を強調するわけでもない。むしろ大人しくモーツァルトの音楽をそのままストレートに弾いている。伴奏が遅いので、たっぷりと時間をかけているということもある。だから第2楽章などはいつまでも鳴っている感じである。取り立てて特徴的ではないところが、何とも素敵な一枚である。思えば80年代では、そのようなひたすら真面目で綺麗な演奏が多かった。演奏のスタイルとして、今では物足りない感じがするとしても、この時の若い感性が、ほぼ同世代の私にとってしっくりと来ている。そしてジョシュア・ベルは、今でもとても魅力的な演奏を続けている名ヴァイオリニストであり続けている。
なお、このCDでは第3番、第5番ともに彼自身によるカデンツァが用いられている。
登録:
コメントの投稿 (Atom)
ブラームス:ヴァイオリンとチェロのための協奏曲イ短調作品102(Vn: ルノー・カピュソン、Vc: ゴーティエ・カピュソン、チョン・ミュンフン指揮マーラー・ユーゲント管弦楽団)
ブラームスには2つのピアノ協奏曲、1つのヴァイオリン協奏曲のほかに、もう一つ協奏曲がある。それが「ヴァイオリンとチェロのための協奏曲」という曲である。ところがこの曲は作品番号が102であることからもわかるように、これはブラームス晩年の作品であり(54歳)、すでに歴史に残る4つの交...
-
現時点で所有する機器をまとめて書いておく。これは自分のメモである。私のオーディオ機器は、こんなところで書くほど大したことはない。出来る限り投資を抑えてきたことと、それに何より引っ越しを繰り返したので、環境に合った機器を設置することがなかなかできなかったためである。実際、収入を得て...
-
当時の北海道の鉄道路線図を見ると、今では廃止された路線が数多く走っていることがわかる。その多くが道東・道北地域で、時刻表を見ると一日に数往復といった「超」ローカル線も多い。とりわけ有名だったのは、2往復しかない名寄本線の湧別と中湧別の区間と、豪雪地帯で知られる深名線である。愛国や...
-
1994年の最初の曲「カルーセル行進曲」を聞くと、強弱のはっきりしたムーティや、陽気で楽しいメータとはまた異なる、精緻でバランス感覚に優れた音作りというのが存在するのだということがわかる。職人的な指揮は、各楽器の混じり合った微妙な色合い、テンポの微妙あ揺れを際立たせる。こうして、...
0 件のコメント:
コメントを投稿