2013年7月9日火曜日

ドビュッシー:交響詩「海」、牧神の午後への前奏曲、ラヴェル:「ダフニスとクロエ」組曲第2番、ボレロ(ヘルベルト・フォン・カラヤン指揮ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団)

カラヤンの一連のドビュッシーの録音には、主要なものだけで4種類(映像は除く)あり、そのうちの最初のフィルハーモニア管弦楽団とのものと、77年のベルリン・フィルハーモニー管弦楽団とのもの(EMI盤)は、あまり目立たないために熱心なリスナー向けであると思われる。このため、最終的には64年盤と85年盤との比較となる。

私はカラヤンの演奏は、いつも60年代の方がいいと思うことにしている。これは経験からそう思うのだが、録音自体はもちろん80年代の方がいいだろうし、すべての演奏を比較してい言っているわけでもない。だが、録音の技術を追い求めたカラヤンでも、指揮の水準は維持できなかった。結局、いくつかの例外を除けば、私は断然60年代のものをとることにしている。

ここで困ったことが起こる。ドビュッシーの「海」などをおさめた60年代の録音は、何度か再発されているが、カップリングがムソルグスキーの「展覧会の絵」となっているのである。これも名演奏だと思われるが、私は「牧神の午後」も好きだし、それにラヴェルの「ダフニスとクロエ」もそろえておきたい。そしてこういうカップリングのCDは、あるのかないのか、あまりお目にかからず、けれどもどこかで発売されているようでもあったし、それが廃盤になっていたりもした。

待つ、ということにしていたが、何年たってもなかなかいいカップリングが出ない。その間にやはり80年代の録音はいつも注目され、そしてこのドビュッシーに関しては、それはそれで名演奏であることが知られているようだ。やはり諦めようか、などと思っていた。そんなある日に、私はDeutsche Grammophonの紙のジャケットCDで、これらドビュッシーとラベルをうまくカップリングした新リマスター盤が発売されていることを知ったのである!

さて、その演奏であるが、これはやはり今聞いても新鮮な最高の演奏であるといわねばならない。普段はあまり聞かないドビュッシーも、カラヤンのマジックにかかると何と新鮮なことか。独奏のフルートはゴールウェイではないかと思われる。例年以上に早い梅雨明けに戸惑う間もなく猛暑が続き、立ちくらみを覚えるような昼下がり、私は早めにオフィスを出て、冷房のきいた喫茶店でコーヒーを飲みながら、いつものiPodで聞いた。至福のひとときであった。

ボレロでは、10分程度を過ぎたあたりで初めて弦楽器が登場する。ここは一番の聞かせどころで、第1ヴァイオリンがあの旋律をすうーっと弾く時には背筋がぞくぞくするものだ。それまでの菅楽器のみの編成からいよいよ大団円に向かうその最高の見せ場で、何とカラヤンは小太鼓の数を一気に増やし、そして音量を大きくしてみせた!やはりカラヤンは心憎い!そして続くヴァイオリンのレガートが、丸で単一の楽器を弾いているような完璧なアンサンブルを奏でる。何度練習したか知らないが、いくらベルリン・フィルでもそう簡単ではないだろう。統制と抑制の取れた旋律は、もちろんヴァイオリンだけではない!「ダフニスとクロエ」など、見事と言うほかない。

そう言えば、「海」で描かれた富士山の浮世絵は、まるで津波の中を船が行くさまである。北斎は少し誇張して描いただけだろうと思う。だが、この効果は遠いヨーロッパの人々にエキゾチックな発想を持たせるのに大いに貢献した。そして今日、日本人の私が聞いても、西洋風でもなく日本風でもない、独特の雰囲気を楽しむことができる。

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