人も家畜も活力を失い、
松の木も燃え上がりそうだ。
かっこうが鳴き始め、
松の木も燃え上がりそうだ。
かっこうが鳴き始め、
山鳩とひわも歌う。
そよ風が心地良く吹く。
しかし北風が不意に襲いかかる。
羊飼いは嵐を恐れ、
自分の不運を嘆いて涙を流す。
激しい稲妻と雷鳴、
そして群れなす無数のハエに、
羊飼いの疲れた身体は休まることがない。
ああ、恐れていたとおりだった。
空は雷鳴をとどろかせ、稲妻が走り、
あられさえ降らせて、
熟した穀物の穂を痛めつける。
熟した穀物の穂を痛めつける。
夏に聞きたくなる数少ないクラシック音楽のうち、ヴィヴァルディの「夏」は標題音楽としてこれほど印象的な曲はない。ここ数日の東京の天気そっくりなほど、その詩(ソネット)の情景はヴィヴィッドだ。今日の午後は、数ある録音の中から、ムターの新しい方の演奏で聞いてみた。
ムターはデビュー当初、カラヤンとこの曲を録音し、映像とCDで出ているが、この1998年の録音は自らが中心となって、より奔放に演奏を楽しんでいる。中でも「夏」はもっとも充実した出来栄えと思っている。
ここでの「夏」は当然、イタリアの夏である。ヴィヴァルディはヴェネツィアで活躍した作曲家なので、北イタリアだろうか。だが北であっても夏は驚くほど暑い。私も2度ほど夏のイタリアを旅行しているのでそれはよくわかる。しかも日本にようにどこにでもエアコンやジュースの販売機があるわけではない。
ここで表現されている嵐は、上空に寒気がやってきて不安定な天候によるものである。我が国では梅雨の末期、暑い日こそサウナに入ると涼しく感じられるように、このような暑い曲を聞くのもいいのかも知れない。だがこの演奏団体のあるトロンヘイムは、ノルウェーの中部にある小さな港町だ。透明で透き通るような、丸で買ってきた氷のような涼しさを感じさせる音色だ、などと勝手に思ったりして暑さをしのいでいる。
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