2015年6月18日木曜日

ビゼー:歌劇「カルメン」(2007年7月19日、神奈川県民ホール)

2000年に始まった小澤征爾音楽塾というプロジェクトは、小澤征爾の病気などによって一時中断されながらも今年11回目を重ねているようである。私は2001年にモーツァルトの歌劇「コジ・ファン・トゥッテ」の公演を横浜で見る機会がったが、その後、2007年にビゼーの歌劇「カルメン」を見ることとなった。

2006年2月に初めて子供が生まれて生活が一変した私は、ほぼ一年半ぶりとなるコンサートをほとんど偶然のように発見し、当日券を買って衝動的に見ることとなった。会社を病気で休んでいた2007年夏のことである。梅雨明け前の少し蒸し暑い夏の昼、私は横浜でパーヴォ・ヤルヴィの指揮するドイツ・カンマーフィルハーモニーのベートーヴェン・チクルスのうちの公開練習があることを知り、さらにそのあと、夜になって「カルメン」の公演があることを知ったのである。前者はみなとみらいホール、後者は神奈川県民ホール。新しく開通した東急みなとみらい線で結ばれている。

「カルメン」は私がオペラに親しむきっかけになったオペラであるにもかかわらず、実演に接したことは一度きりだったし、それに「コジ」のときの名演が頭に浮かんだ。当時ウィーン国立歌劇場の音楽監督に上り詰めた小澤の指揮で「カルメン」を見ることができるのは、偶然とはいえ大変嬉しいことだ。

そういうわけで子供は妻に預け横浜まででかけた。その時の文章が残っていたので、ヤルヴィの公開練習と合わせて以下に転載する。なお「カルメン」の舞台装置はジャン=ピエール・ポネルによるものでサンフランシスコ・オペラからのレンタル、演出は「コジ」の時と同様、盟友のデイヴィッド・ニース氏。以下歌手は、カルメンがジョシー・ペレス、ドン・ホセがマーカス・ハドック、ミカエラにケイティ・ヴァン・クーテン、エスカミーリョに何とあのポーランド生まれのマリウス・クヴィエチェンである。なお、子供たちの歌は東京少年少女合唱隊によって歌われている。

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午後2時、「みなとみらいホール」には熱心に詰めかけた数百人の音楽ファンが列を作っていました。その翌日に演奏される演目の練習とは聞いていましたが、それが何と3人のソリストを迎えてのベートーヴェンの「3重協奏曲」の練習だったのです。その中に諏訪内晶子の姿がありました。

ゲネプロではなく、何度も試行してはやり直す文字通りの練習です。しかし、ここには真剣な音楽づくりのシーンがありました。本番以上に緊張するムードです。パーヴォ・ヤルヴィは少人数のオーケストラ(ドイツ・カンマーフィルハーモニー)と、いかにしたら理想的な演奏ができるかを議論しては追及しているのです。ドイツの若い音楽家たちには、この音楽が自分たちの文化でありその発展を使命とするかのような真剣な雰囲気を感じ取ることができました。ただ観客を喜ばせるためではなく、なぜこの音がこうならなければならないか、どうすれば新しい響きに発展できるか、その積み重ねは途方もなく高い山を一歩一歩登るようなものに感じられました。2時間の練習で、この3重協奏曲と、ベートーヴェンの第4交響曲の序奏部分を聴くことができました。

私は一気にヤルヴィのファンになり、そしてこの演奏家が録音した最新のSACDを、すでに2枚も購入してしまうこととなったのです。

同じ日の夕方、私はそのまま神奈川県民会館に向かい、ビゼーの歌劇「カルメン」を観たのですが、その音楽が、病を乗り越えたこのウィーン国立歌劇場の音楽監督が演奏する「カルメン」でありながら、そしてその音楽は天才的なリズム感を持つ素晴らしい演奏でありながら、それが何と身軽なものに聞こえたことでしょう!

小澤の音楽が、やはりヨーロッパの文化を背負う重苦しさから解放された、新しい響きを持っていることは言うまでもなく、それが世界の小澤の小澤たる所以であることは、多く語られてきているところです。けれども、今回、私は彼の音楽がもはやそれしか拠りどころのないものであるという、当たり前のことを再発見して、いささか複雑な心境になりました。

なるほどリズムにあふれた小澤の音楽は躍動的で美しく、潤いに満ち、立派で共感を呼ぶものになっています。完成度も高く、美しい演出と淀みのない若い歌手たちの歌によって、このコンサートは私がかつて体験した歌劇の中でもかなり完成度の高いものであったことは疑う余地がありません。しかし小澤の魅力の限界がここに示されているということを、連続したコンサートの体験によって知ってしまったというのもまた事実であり、その意味においてこの演奏会は、私の個人的体験でもちょっと類を見ないものとなりました。

「カルメン」は良くも悪くも小澤の「カルメン」であり、それ以上でも以下でもありませんでした。少なくとも音楽的には世界でも屈指の完成度の「カルメン」であった、と言い変えることは可能でしょう。けれどもそこに表現上の進歩を遂げなければならないという切羽詰ったもの、簡単に言い換えればこだわりが少ないものなのです。丸でポピュラー音楽のような演奏だった、と言えば言いすぎですが、ヤルヴィの真剣そのものの練習から求心的に突き進むベートーヴェンを聴いた後では、何となくそういう風にも感じられたのでした。

とはいえ、この「カルメン」は私にとって、十年ほど前にニューヨークのシティ・オペラで見て以来2度目の、実際そう何度も触れることのないフランス・オペラの貴重な体験の一つでした。シャッターの下りた中華街の真ん中を石川町まで歩き、そこから根岸線の列車に飛び乗ってまっしぐらに帰りました。長い休暇が終って、暑い夏が到来する前の、ほんのわずかの数日を、私は音楽で満たした喜びを噛みしめていました。

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