このブログを書き始めた2012年元旦以前のコンサート記録のうち、オペラに関するものを順に書き続けてきた。そして以下の「トロヴァトーレ」でそれを終えることができる。このあとはブログにすでに書いてきたからだ。
2012年以降のオペラ体験は、MET Live in HDシリーズによってより大きな前進を遂げたと思う。と同時に実演に接することの良さも改めて認識することとなった。オペラという楽しみはお金と時間がかかるけど、それだけの価値のあるものだとつくづく思う。
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新国立劇場の新シーズン(2011-12)の最初を飾る演目は、新演出の歌劇「イル・トロヴァトーレ」である。このオペラはここ最近目いっぱい聞いているのだが、では実演に接した経験があるかとなると、これが実にないのだ。一度はゆっくり聞いてみたいと思っていたので、ここは4階席を買い求めオペラシティへと馳せ参じた。
当日は強い雨の降る日だったが、水曜日にも関わらず多くの人出。しかしその多くが高齢者なのはたまたまなのか。私は昨年の「影のない女」以来だがその時よりも何か、あまり活気のない様子の人が多いように感じた。歌手はなかなか好演しているにも関わらず、拍手が極めて少ないのである。私は出演者が気の毒ではないかとさえ思われた。
それが天井桟敷の4階席でも同じなのである。私の隣にいたご婦人の2人連れなど、まったく拍手をしない。それでも着飾った客でほぼ満席である。もっと下の席ではどうかと身を乗り出すが、これがまた何ともしけた感じ。これで舞台が悪いなら仕方ないだろう。だが、私は今回の公演に登場した歌手や指揮者がそれなりに実力を出していると思われたのだ。
まずレオノーラのタマール・イベーリ。グルジア出身の彼女は、急きょの代役だったそうだが、なかなかの実力派である。最終幕での長いシーンでも緊張感を絶やさず、圧巻であった。容姿もぴたりとはまっている。もっとも拍手が多かったのはルーナ伯爵を歌ったヴィットリオ・ヴィテッリである。「君の微笑み」などはとても素敵で、このルーナ伯爵が実力不足だとこのオペラは実はつまらないのである。
同じことはアズチェーナにも言える。このアズチェーナ役のアンドレア・ウルブリッヒは大したもので、私がCD等で聞いている過去の名歌手に比べても遜色がない。低いメゾの声だが、このアズチェーナを歌いこなす声というのがある。彼女はそれを持っている。マンリーコを歌ったイタリア人ヴァルテル・フラッカールは及第点の出来だと思われる。特に「燃える炎」といった聞かせどころではなかなか聞かせるのだ。
私は初めての実演に接して、いささか興奮していたのかも知れない。それでやはり生の舞台はいいな、と思ったのだが、さて他の客はどうだったかわからない。ブラボーを叫んでいる人もいたが、よく知っている人だろうと思う(ただしクラシックファンはしばしば「知ったかぶり」をする)。だいたい両脇にある字幕を追いながら、難しいストーリーを追おうとすると集中力が途切れる。指揮者のピエトロ・リッツォと東京フィルハーモニー交響楽団は無難な出来栄え。悪くない。
もしこの公演が何かすっきりしないものを残すとしたら、それは演出のせいかもしれない。だが私は批判しようとは思わない。これはこれでいろいろと考えられていることがわかる。全てのシーンに登場する悪魔のような親子?をどう見るかについては意見が分かれるだろう。
私は実演を見ること自体ですでに嬉しくなっているので、このような真新しい演出は大好きである。この「死」をモチーフにした老人は、要所要所でこの難解な話を分かりやすくしようとして、さらにわかりにくくしている。だがよく考えてみるとその存在は、このオペラに付きまとう影の存在であることを伝えている。
私はまったく声を発しないが、常に舞台のどこかで何かを演じるこの存在を楽しく追いかけた。「死」というと恐ろしいが、彼に付きそう若干6歳くらいの男の子が、その恐ろしさを少し緩和してくれて実に素敵であった。子役の彼は私の息子と同じくらいの年齢で、それでいて動じることなく最後のカーテンコールでもぎこちなくお辞儀する姿に、何かとてもほほえましものを感じた。
総じて、私はこの公演は今シーズンを幕開きを飾る成功であったと思う。だが、このような高いチケットを買ってまでオペラを聞きに来る客は、年々少なくなっているような気がする。もちろん私のような物好きなファンも沢山いることだろう。丁度時間帯に、隣のコンサート・ホールではアントニオ・パッパーノが指揮するローマ・サンタ・チェチーリア管弦楽団の演奏会があったので、多くの客はそちらに流れたのかも知れない、などと思うことにしながら帰りの京王線に飛び乗った。
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