幕が開いた瞬間、何と美しい舞台なのだろうと思った。それまでの私のオペラに対する概念を打ち破り、シンプルで明るい照明の効果がこれほどにまで見るものを圧倒するのかと思った。
いつ、どことも知れない、とある雪の中の村。おそらくは江戸時代かもっと昔、北日本のどこか人里離れた僻村。古い日本家屋に雪がしんしんと降っている。日本人であればおそらくはこれだけで、そこに住む人々が何のけがれもなく純朴で、自然を愛してやまず、貧しくとも心の豊かな生活・・・とイメージすることだろう。「つるの恩返し」は、そのような日本人の心の琴線に触れる民話である。確か小学生の時に教科書で読んだ記憶がある。いやそうでなくてもその話は、マンガか何かで知っていたはずだ。
ある日、鶴が罠にかかったのを見つけた若者は、その鶴を逃がしてやると、その日の雪の降る夜、美しい娘が訪ねてきた。彼女を快く泊めてやった若者はやがて、「中を覗いてはならない」という娘の忠告を破り、彼女が布を織る姿を見てしまう・・・。それは純粋な好奇心からなのか、それとも物欲にとらわれた故の因果なのか・・・。
だが木下順二の戯曲「夕鶴」では、悪者にそそのかされた結果だということになっている。強欲な惣どと運ずは、なぜ与ひょうの妻つうがかくも見事な布を織ることができるのか、知りたくてしたかがない。この布は高く売れ、そこのとによって素朴な与ひょうも徐々に裕福になっていくことが、妬ましくてしたかがなかったのだろう。とうとう惣どと運ずは、機を織るつうの姿を目撃してしまう。そして与ひょうまでもが・・・。つうの正体が鶴であることがわかってしまったのだ。もうここにはいられない、と悟るつうは別れを告げ、子供たちの歌声が響く中、再び鶴の姿になって空の彼方へ飛び立って行く・・・。
東京にもとうとうオペラ専用のホール「新国立劇場」が誕生したのが1997年。専属オケを持たないとか、運営に関する様々な問題を露呈しながらも、定期的にオペラに触れることのできる施設ができたことになる。私はなかなかその公演に足を向けることがなかった。しばらくオペラから遠ざかっていたためだ。その状態は2000年3月の藤原歌劇団公演まで続いたことは先に書いた。だがその時に見た公演によって、再びオペラに出かけてみたいと思ったのだ。
東京で見るオペラに相応しいのは何だろうか、と考えた末、日本人の日本人による日本人のためのオペラなら、世界的に見ても最高水準であることは確実だろう・・・と安直に考えた時、選んで出かけたのが團伊久磨の有名な歌劇「夕鶴」だった。2000年12月、この日は新演出の舞台で担当が栗山民也。つうに鮫島有美子、与ひょうが田代誠。いずれも我が国を代表する歌手で、「夕鶴」の定番歌手である。指揮は増田宏昭、東京フィルハーモニー交響楽団。それに杉並児童合唱団が印象的な子供の歌を歌う。
私はこの作品を観るのも聞くのも初めてであった。だがその音楽を聞いたとき、重厚で見事なオーケストレーションに耳を奪われた。日本的なものにおもねることなく、正攻法で西洋音楽に挑んだようなところが野心的である。木下順ニの戯曲に「語句を
一切変えてはならない」という大変な制約にもめげず、冒頭からの歌の調和は見事と言うほかはなかった。そして子供達!私はオペラに子供が出てくることに滅法弱い。それだけで感動してしまうのだ。
当然歌詞は日本語である。けれどもその日本語がわかりにくい。字幕があったかどうか思い出せないが、たぶんなかったと思う。それがちょっと残念だった。いやこういうのはちょっと意外だった。日本語のオペラでも字幕は重要だと、誰もが気付いたのだろう。最近の公演では字幕が入る。それから音楽が、後期ロマン派のような複雑さを持っているので、アリアというのがわかりにくい。「つうのアリア」などと言われても、特に予習をしてこなかった私には、どこがどういう風なのかわからなかった。やはりオペラである。何度も繰り返し見れば、徐々にその音楽的な深さを知ることができるのだろう。
新しいホールは座席の配置も悪くなく、舞台が奇麗に見渡せた。何よりヨーロッパの古いオペラハウスとは違い、最新鋭の機材を備えている。特に舞う雪と照明効果の美しさは見事につきる。栗山の無駄を排した中にも洗練されたな舞台は、とても好感が持てた。そのことだけで私は非常に感激し、少し高いお金を出してでも何かいいものを見たような気がして、何かとても幸せな気分だった。
ストーリーを「解釈」することがこのオペラでは不要である。日本人としての感性が、特に説明もなく心に響いてくる。ロシアやチェコのオペラを見るときに感じるような民族性が、おそらくこの作品でも強調されているのだろうと思う。日本人の民話をわざわざ西洋音楽で表現することの理由は、西洋人にとって「理解すべき」事柄であると思う。同時に日本人にとっても、「なぜ」それをオペラ化しなくてはならなかったか、西洋人に向けて説明をしておく必要があるだろう。普遍化された文明としての「西洋音楽」によって、日本人の民族に根差した感性がどこまで表現、伝達可能であるか・・・だがそのようなことは、日本人が見る時には、まあどうでもよいことでもあるのだ。
このオペラは1951年に作曲され、翌年大阪で初演された。我が国を代表するオペラとして演奏回数は断トツで多く、2015年現在、世界中で700回以上を数えている。
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