1995年から1996年にかけて滞在したニューヨークで私は10回以上のオペラ公演を観たが、その中でもとりわけ印象的だったのは、何といっても95-96シーズンのオープニングを飾ったヴェルディの歌劇「オテロ」である。指揮は勿論ジェームズ・レヴァインであった。
メトでは何と1990年3月にカルロス・クライバー指揮による「オテロ」を観ているから2度目の「オテロ」となるのだが、私のオペラ体験というのは実にこれが数回目だったから我ながら何という贅沢な話なのだろうかと思うが、事実だから仕方がない。クライバーの「オテロ」は演出がフランコ・ゼッフィレッリで映画にもなった美しいものである(そしてスカラ座の東京公演でも!)。 その長く続いた演出が94年に終わり、イライジャ・モシンスキーによる新たなプロダクションが始まった。そのまさに最初の頃の公演ということになる。
舞台はとてもオーソドックスなものだったが、20年以上が経過した今となってはあまりよく覚えていない。ところが2004年になってこの時の公演を記録した映像がDVDでリリースされた。私は迷わずそれを購入した。その時の公演はこのビデオで辿ることができるのだ。冒頭レヴァインのタクトが振り下ろされると舞台に稲妻が走り、一気に引き込まれてゆく。ヴェルディのすさまじい音の重なりと、迫力を持った合唱が15世紀のキプロスの沖へと誘う。
嵐の船上に登場したプラシド・ドミンゴ(オテロ)は、「喜べ!傲慢な回教徒が去った」と叫ぶ。この役を20年にも亘って歌ってきたベテラン・テノールの、まだ艶のある50代の声である。張りのある声もさることながら、風貌が映像向きに見栄えがする。そして「喜びの火よ」に続く合唱でレヴァインはテンポを緩めない。一気に、そして緊張感を持ってジェイムズ・モリス(イヤーゴ)の歌「喉を潤せ」が始まる。カッシオはまだ若いリチャード・クロフトが歌っている。
1幕の終わりでは早くもデズデモナの出番である。ルネ・フレミングはこの時初めてデズデモナを歌ったようである。以降彼女のはまり役である。愛の二重唱にあたる「もう夜が更けて」で舞台は一層期待が高まる。
このように実演ではよくわからなかった舞台の隅々の様子までDVDでは楽しむことができる。これはMETライブシリーズと同様である。日本語字幕があるのが何より嬉しい(METでもこの公演から字幕サービスが始まった。だがその字幕は前の席の上部に個別に出てきて、視点を動かすのが大変である。また当然英語である)。
あらすじを追っていくと書くことが膨大になってしまうので割愛するが、私のオペラ体験に照らして言えば、ヴェルディ晩年の音楽がよりこなれて聞こえてきたというのが正直なところである。音楽は途切れることなく進み、歌とドラマが一体となっている。合唱やアリア、それに会話といった区別がつかないオペラは、私にとって最初とてもとっつきにくいものだった。だがその呪縛から逃れ始めたのがこの公演だった。ベテランのレヴァインの指揮が、こういう複雑な音楽でも統一的なコンセプトの中に展開される高い水準にあったことがその大きな理由だと思う。
最終幕は「柳の歌」→デズデモナの死→オテロの死と続くが、これは一気に聞かせる。ビデオで見ると心理的な展開や表情が実によくわかる。けれどデズデモナが「アーメン」と静かにベッドに横たわる時、あるいはオテロが「もう一度口づけを」とデズデモナに近寄りながら力尽きるとき、その静けさの中で消えていくピアニッシモの繊細な歌声は、その時に居わせた人々にのみ共有される体験でもある。何千人もの聴衆と全ての出演者、オーケストラが一体になった奇跡のような瞬間。そのたとえようもない美しさを経験するには、やはり実演しかない。
なお、レヴァインの「オテロ」は70年代にゼッフィレッリ演出のビデオが出ていた。一方モシンスキーの「オテロ」は昨シーズンまで上演され続け、その最後の年にビシュコフの指揮で上演されたものもリリースされている。オテロやヨハン・ボータに変わったがデズデモナは依然フレミングである。このプロダクションもついに終わり、来シーズンでは新しい演出がリチャード・エアによってなされる予定だ。もちろんこの公演はMETライブシリーズで我が国にも中継される。
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