「ロンドン交響曲」の後半、その最後の3曲は、正確にはヨハン・ペーター・ザロモン主催のコンサートのためではなく別のコンサートのために書かれた(オペラ・コンサート)。これらの3曲はハイドン交響曲の最後の集大成と言われてもいいだろう。素人が聞いていてもわかるほどの充実ぶりは、それまでのあらゆる技巧が駆使され、規模も大きく、ベートーヴェンの交響曲へとつながる確かな構成感が感じ取れる。
特に交響曲第102番は標題こそ付けられていないが、隠れた名曲として名高く、特筆すべき傑作であると評価する向きも多い。でもその根拠となると、私には詳細がよくわからない。私はあまりハイドンを実演で聞いていないが、実演でも録音でも個人的には第104番のほうが、聞くたびに感動するという点で最高傑作だと思っている。第102番の方はと言えば、序奏から第2楽章まで続く重厚なイメージと、何といってもフィナーレの興奮させられるようなスピードある楽章が印象的だ。全体に無駄がなく、すべての楽器が均等に活躍する。
私はこの第102番をネヴィル・マリナーの演奏で長く親しんできたが、今回取り上げるのはアンドレ・プレヴィンのものである。その理由はこの曲の実演を、プレヴィンの演奏で聞いているからだ。オーケストラはセント・ルークス管弦楽団であった。1995年春、カーネギー・ホール(ニューヨーク)でのことである。実演と言ってもそれは土曜日のマチネーのための公開ゲネプロで、朝10時頃から始まったと思う。各楽章を通しで演奏したプレヴィンは、その合間に何か一言二言、オーケストラのメンバーに向かって指示を与えていた。その声は会場にほとんど聞こえないような静かさであった。初めて聞くプレヴィンの演奏はとても自然で落ち着いており、それだけに特徴の少ない大人しい演奏に思った。
この曲をCDではウィーン・フィルを指揮している。ハイドンのこの頃のコンサートは、オーケストラの規模も総勢50名は下らない規模だったようだから、このウィーン・フィルで聞くぶ厚い演奏もそれなりに相応しいように思う。それからウィーン・フィルによるハイドンの録音は、古いワルターとバーンスタインくらいしか思いつかないので、とても珍しいとも思う。
プレヴィンの演奏は、N響を聞いた時もそう感じるのだが、何も作為的でないにもかかわらず、プレヴィンにしかできないようなしっとりとした音楽に変身するのが面白い。音がとても綺麗である。そういう魔法にかかったような指揮が、ウィーン・フィルとの間でも醸成されたのだろう。この時期に録音されたいくつかの演奏は、どれも評価が高い。すなわちドヴォルジャークの「スラヴ舞曲集」、オルフの「カルミナ・ブラーナ」、メンデルゾーンの「夏の夜の夢」 など思い付くだけでも数多い。
長い序奏を経て繰り出される第1楽章も共感に満ちているが、第2楽章のチェロの助奏を伴ったメロディーが、ベートーヴェンを通り越してシューベルトのように聞こえる。ハイドン流のメヌエットを経て最終楽章プレストになると、なぜかこの演奏で聞いてきてよかった、などと思う。とても楽しく新鮮で、丸で冬が去って春が来た時の安堵感のようなものが心を満たす。
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