モーツァルトはピアノ協奏曲第11番から第13番までの3曲のあと一区切りがあって、そのあと第19番までの6曲がひとつの単位である。この第16番はその中でも丁度真ん中あたりである。作曲は1784年。ウィーンでの予約演奏会のために書かれたことは、他の曲と同じである。
ニ長調という調性からも明らかなように、この曲は明るく祝祭的である。冒頭からティンパニとトランペットも加わっている。ところが私のお気に入りの演奏になってしまったシフのピアノによる演奏は、どちらかと言えばこじんまりとしている。そしてどことなく冴えない感じがしたものだ。だがするめをかじると次第に味が増してゆくように、この演奏は何か不思議な魅力がある。それは意図したものではないかもしれないし、誰もがそう思うかどうかもわからない。ただ私の場合、この曲をほとんど聞くこともないし、ほかにめぼしい演奏のディスクを持っているわけではない。どういうわけか第15番と第16番を収録したCDが手元にあって、ここで取り上げるべきか迷いながら何度も聞くうち、次第に好きになっていったという次第である。
読書百遍、云々という諺のように、同じ演奏も何度も聞くうちに好きになっていくのだろうか。何度聞いても好きになれない演奏(例えばワルターの「田園」がそうだ)もあるのだが。録音は1991年だから、古楽器風の演奏が流行り始める頃である。だからきりっと締まった伴奏が、遅くない速度で安定感を保ちながら進んでいく。
第1楽章の華やかなメロディーも隅々まで行き届いたサウンドがピアノの、どちらかと言えば硬いタッチと重なって、室内楽的な完成度となっている。誇張は一切ないが音楽の喜びもまた、この演奏から感じられる。第2楽章はアンダンテ。空中に漂うような感じ。目立たなく素朴で、つまりは平凡なのかもしれないけれど、シューベルトのような感じとでも思えばいいかもしれない。
一方第3楽章の行進曲風の快活なメロディーは、このシリーズのピアノ協奏曲の特徴で、音楽を聞く喜びを満喫できる。この曲に至るために第2楽章から聞き続けてきたのだ。ピアノとオーケストラの絡み合いは、このモーツァルテウム管弦楽団の演奏で聞くと、独特である。もしかしたら・・・私は批判を恐れずに言うと・・・このオーケストラの響きは、技術的な問題が原因かもしれない。デッカの明瞭な録音がよくカモフラージュをしていることと、ヴェーグの生き生きとして職人的な指揮のおかげでそれを感じさせないレベルに一応は到達している。リズムが多様に動くが、それも見事にこなし、終わってみると中々味わいのある演奏であったと思うに至る。この曲の若々しい魅力は、 丁寧な演奏と指揮、それに硬いピアノが不思議に溶け合い、まるで春野菜のサラダのように素材の持ち味を感じさせるユニークな演奏に、うまくマッチしている。
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