昨日早朝に目が覚めてインターネットのニュースを見ていたら、ニクラウス・アーノンクールが死去したとの報道があった。年頭にピエール・ブーレーズが亡くなったばかりだから、今年はクラシック音楽界の両横綱を一気に欠いたような感じで悲しい限りである。これでまた、ひとつの時代が終わったのかと思う。
追悼というわけではないが、お気に入りの録音を取り上げる。モーツァルトの初期交響曲を集めたCDで、第1集は3枚組、第2集は2枚組。いずれもモーツァルト親子の書簡集の一部を、アーノンクール自身と孫が朗読している。イタリア各地を旅して回った時の、旅先から姉や母親にあてた手紙などである。第1集では3枚目にまとめてあるが、第2集では曲の間に挿入されている。こちらはもちろんドイツ語だが、日本語の解説書が付けられていて対訳で楽しむことはできるようになっている。
初期交響曲としてモーツァルトのおおよそ第30番以下の交響曲を収めているが、そのうち第25番くらいまでは10代に作曲されたもので、その実ハイドンのように第1番から完成度が高いというわけではない、と思っていた。また当時は交響曲というスタイルが確立されていく過程にある時代であり、その前身であるオペラの幕間に演奏された音楽すなわちシンフォニアと、その一部を構成するオペラの序曲として作曲されたものが混在する。モーツァルトの場合は、必ずしも番号順に作曲されてはおらず(というより作曲順に番号が付けられても、その番号の間に新しい曲が発見されるなどした結果、番号を振りなおしたりしている例も多く)、詳細は研究者の文献をあたることになるのだが、まあ素人の鑑賞用としては、モーツァルトの若い頃の作品を一度は聞いておいてもいいかな、などと思うのみである。
モーツァルト生誕250年の年にあたる2006年、数多くの録音が行われ、とりわけアーノンクールが指揮したモーツァルトの初期作品は、それ自体とても気合の入った演奏であった(オペラをすべてリリースした)。これらの演奏は、まさに演奏によって曲の良さが引き出され、さらにその結果、従来の演奏では味わえないレベルのものを感じることが出来る。これこそアーノンクールが長年行ってきた原典主義と、古楽器風の演奏スタイルによって、曲そのものの新たな魅力を引き立たせることに成功した良い例ではないかと思う。演奏のスタイルが曲のイメージを壊した結果、それまで光の当たらなかった部分にまでが輝きを持って光る結果となった。いわば曲の「裏側」から光を当てた、まるで影絵のような効果である。消えかかっていた文字の輪郭が、すっと浮かび上がってくるとでも言おうか。
私のアーノンクールとの出会いは、モーツァルトの協奏交響曲での鮮烈なアクセントによってであった。ヴァイオリンにクレーメル、ヴィオラにカシュカシアン、それにウィーン・フィルのLPレコード。思えばもうこの頃には、ヨーロッパにおける中心的な地位を築いていたともいえるが、我が国ではほとんど来日もなかったことにより、その評価が非常に遅かったのではないかと思う。かくいう私も最初は変な演奏だと思ったものだ。それこそ「想像のための破壊」というものとのショッキングな出会いでもあったのだが。
歌劇「コジ・ファン・トゥッテ」をテレビで見た(演出:ポネル)のと、ベートーヴェンのヴァイオリン協奏曲のCDを聞いたのと、どちらが先だったか記憶が定かでない。後者ではクレーメルのヴァイオリンの他に、何とカデンツァでピアノまで登場するという異例の演奏で、大阪のタワーレコード心斎橋店で試聴した時の違和感は、強烈なものだった(今ではお気に入りである)。その後、テルデックから発売されたベートーヴェン全集を買ったが、実はこれが私が買った初めてのベートーヴェン全集だった。これは私にとって冒険だった。けれどもそのことにより古楽器風の演奏に真剣に向き合うことができた。
2001年と2003年にウィーン・フィルのニューイヤーコンサートに登場したときには、私はもうすっかりファンとなっていたが、特に2003年の際には、あまりに美しい「皇帝円舞曲」に見とれ、DVDを買って何度も飽きることなく見たのが思い出である。 見事なシェーブルン宮殿の映像が付けられているのも非常に嬉しい。
そしてとうとう実演で聞いてみる機会に恵まれた。2006年10月、ウィーン・フィルの来日公演を川崎へ聞きにいったのである。曲はモーツァルトの交響曲第39番とベートーヴェンの交響曲第7番であった。私はアンコールで聞いたベートーヴェンの第8交響曲の第2楽章が何故か心に残っている。ウィーン・フィルは指揮者によって演奏のスタイルを変える、その見事さにも圧倒された。
ブーレーズとアーノンクールは、クラシック音楽における異端児でありながら、次第に中心に位置するようになったという意味で共通している。方や現代音楽の革命児、方や古典音楽の改革者。だがクラシック音楽が、少なくともカラヤン以後何とか延命しているのは、歯に衣を着せぬ物言いでもある彼らの成果なのではないか。クラシック音楽がこれでつまらなくなるとは思いたくない。だが強烈な個性を放つ、すべての新譜を聞いてみたくなるような指揮者は、これでもういなくなってしまった。
モーツァルトの若い頃に残した交響曲の数々は、アーノンクールと彼が創設したウィーン・コンツェントゥス・ムジクスによって新しい命を吹き込まれた。第25番(小ト短調)のようなショッキングな曲も、何と純音楽的に聞こえることか。若いとはいえ恐ろしく完成度の高い知られざる曲の数々は、アーノンクールの腰を据えた演奏で円熟味が付け加えられ、前から名曲として知られていたかのような感じがする。このようにしてそれまで聞く機会のほとんどなかった曲も、立派で新鮮な響きを堪能できる。
例えば、とここで例を挙げて書き始めると、この文章が終わらないかもしれない。第1集から順にほぼ作曲順に収録されているのだろう。最初の交響曲第1番や第4番あたりは、まだ未熟というかあまり印象的な作品とは言えない(当たり前だ。8歳か9歳の作品だ!)。けれどもケッヘル番号が40番台ともなると、曲調が一変する(わずか3年後!)。その象徴が「(旧)ランバッハ交響曲」と言われる作品(K45a)からである。今ではモーツァルトの作品ではないとされる第2番、第3番や「新ランバッハ交響曲」などは慎重に省かれている。
第1集は1769年までの作品を収録しているので、13歳までということになる。交響曲第9番までである。一方、第2集はK97(交響曲第47番)から始まる。この作品が1770年で14歳。以降有名なK183(第25番ト短調)が16歳(1773年)、いきなり飛んで最後の「交響曲のためのメヌエット」ハ長調K409は1782年(25歳)ということになる。この年は第35番「ハフナー」を作曲しているので、この作品は後半をずいぶん省略しているが、おそらく他の作品は以前に録音されたのであろう。そしてSONYレーベルからBOXセットで発売された際には、これらを含む7枚組となっている。
解説書を読むと、モーツァルトの神童ぶりと合わせていくつかのエピソードが書かれている。彼は幼少の頃からピアノの前に座ると、作曲をやめるように言うまで、ほとんどいつまでも座って何かを弾いていたという。気が付くと作曲家としての素質を身に着けていた。いち早くその才能を見抜いたバイオリン教師でもある父レオポルトが、まだ幼いモーツァルトをヨーロッパ中連れまわし、何回かのイタリア旅行でこのCDに収録されている多くの作品を作曲した。手紙の中で作曲が楽しくて仕方がない様子などが記されている。だが、モーツァルトのその後の人生は、幼少の頃と違い順風満帆とはいかなかった。
その後パリ旅行に出かけた際は、仕事でザルツブルクを離れることのできない父に代わって母親が同行した(その途上で母親は亡くなる)。父親はしばしば彼から日常の煩わしいことを遠ざけた。青年になっても彼は、身の回りのことができなかったようだ。ウェーバーの従妹、コンスタンツェとの結婚生活でも、部屋は散らかり放題となり、挙句の果て借金生活を余儀なくされた晩年のモーツァルトの姿は、今では良く知られているところだ。現代の聞き手はそういうことを知っているからこそ、幼少の頃の純粋で無垢な手紙の文章と作品が、より輝かしく、そしていとおしく思えてくる。
【第Ⅰ集収録曲】
1. 交響曲変ホ長調 K16(旧ブライトコプフ版番号:第1番)
2. 交響曲ニ長調 K19(第4番)
3. 交響曲ヘ長調 K19a (=Anh.223)
4. 交響曲変ロ長調 K22(第5番)
5. 交響曲ト長調 K45a (=Anh.221)「ランバッハ」
6. 交響曲ヘ長調 K43(第6番)
7. 交響曲ニ長調 K45(第7番)
8. 交響曲ヘ長調 K42a (=76)(第43番)
9. 交響曲変ロ長調 K45b (=Anh.214)(第55番)
10. 交響曲ニ長調 K48(第8番)
11. 交響曲ハ長調 K73/75a(第9番)
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