2016年3月8日火曜日

モーツァルト:初期交響曲集②(ニクラウス・アーノンクール指揮ウィーン・コンツェントゥス・ムジクス)

この初期交響曲集には、いわゆる「ランバッハ交響曲」と言われる作品(交響曲ト長調K45a(Anh.221)が収録されている。これは「旧ランバッハ交響曲」と呼ばれるもので、旧があるということは新もある。「新ランバッハ」の方も同じト長調で書かれている。ランバッハというのはザルツブルクとウィーンの間にある街で、修道院があり、ここが当時旅行者の宿泊施設として使われていた。モーツァルト親子がウィーンからの帰途、ここに泊まったという記録がある。1767年、モーツァルトは当時11歳ということになる。

モーツァルト親子は宿泊へのお礼に交響曲を贈った。だがその楽譜が見つからない。したがってこの作品には、Anh.221という番号が与えられた。

この交響曲が修道院で発見されたのは、20世紀に入ってからのことだった。そしてめでたく45aというケッヘル番号が与えられたのである。

しかしこのことに異を唱えた学者がいる。詳細は省略するが、 親子がそれぞれ贈った同じト長調の交響曲は、写譜屋によって取り違えられたというのである。そこで、それまでウォルフガングの作品だとされていたK45aのト長調交響曲は、父レオポルトの作品として「旧ランバッハ」交響曲と呼ばれ、レオポルトの作品とされていた「新ランバッハ」交響曲ト長調がウォルフガングの作品ということになったのだ。

私はこの2つの交響曲を続けて聞いたことがある。2006年2月、東京・三鷹で開催されたコンサートにおいて、この2つの作品が続けて演奏されたのだ。その場では、どちらがどちらの交響曲かわからないくらいに難しい問題であった。直感的に、やや古風な「旧」に対し、「新」のほうがより複雑で、これはすなわちウォルフガングの非凡さ(逆に「旧」を書いたレオポルトの平凡さ)を表すように思える、ということであった。だがこのコンサートで「レオポルトの作品」として全曲演奏されたのは、実は「新ランバッハ」の方だった!

聞いただけでは実際には、どちらがどちらかよくわからないわけだが、何と1980年代になってとうとうオリジナルの楽譜が発見され、それがウォルフガングによるものであること、作曲されたのはロンドンからの帰途ハーグににおいてであることが決定づけられたのである。二転三転した結果、「旧ランバッハ」がウォルフガングの作品、「新ランバッハ」が父レオポルトの作品ということになった。ただ「旧ランバッハ」の方は確かにランバッハの修道院に奉納されてはいるが、作曲されたのはもう少し前の1766年ということになり、これは第5番K22あたりの作品ということになる。アーノンクールのCDでは、そういうわけでK22のあとに収録されている。

モーツァルトの交響曲がまだ未熟さを感じさせる作品であるのは、幼少のほんのわずかの時期だけで、とりわけ20番台に達すると、もう完成された風格さえ感じられる。どれほど子供じみた文章を書いていても、音楽はこれが10代の作品かと信じられないくらいに複雑である。それは音楽的には、様々なスタイルがまじりあって結合し、独自のスタイルを身に着けているということかもしれない。その極め付けが第25番ト短調ということになるだろう。

この異色とも思われる作品は、おそらくモーツァルトの交響曲の中で聞いておくべき最初期の作品として位置づけられることからもわかる。まだ第31番「パリ」の前である。一度聞いただけで忘れられない衝撃的な冒頭は、ト短調のモチーフである「死」をイメージしている、とアーノンクールは書いているが、これは映画「アマデウス」で効果的に用いられた。実際アーノンクールの演奏で聞くこの曲は、実に刺激的である。この曲のこの演奏については、過去にも触れたことがあるので、そこへのリンクを記載しておく(http://diaryofjerry.blogspot.jp/2012/09/25k183.html)。

このCDでモーツァルトの初期の交響曲を続けて聞くと、モーツァルトが徐々に交響曲スタイルを獲得し独自の音楽としていったその過程が手に取るようにわかる。それは彼のヨーロッパ中を舞台とした数々の旅行と結びついている。個人的なメモを簡単に以下に記す。アーノンクールのCDは完全に作曲順の収録である。私は個人的にK40番台の曲が気に入っている。
  1. 西方への大旅行(1763-66):ミュンヘン、フランクフルト、パリ、ロンドン。J.C.バッハの影響。第1番~第5番、ランバッハ。第1集のCD1がほぼこの時期に相当。
  2. ウィーン(1966-69):K番号40番台。メヌエットを加えた4楽章形式。第6番~第9番。第1集のCD2がほぼこの時期に相当。
  3. イタリア旅行 (第1回:1769-71、第2回:1771):第10番~第13番と番号なし(42番以降)。K70番台~112まで。イタリア様式のシンフォニアを旅行中に作曲。第2集のCD1。
  4. ザルツブルク時代:第14番以降、第30番までの作品は、3つの時期に分けられる。独自の傾向を持ち、いわば「疾風怒濤期」。第2集のCD2.
    • 1772年頃:第14番~第21番。K100番台前半。第3回目のイタリア旅行の前。
    • 1773年頃:第22番~第27番(第25番を除く)。第3回目のイタリア旅行の後。
    • 1774年以降:第25番と第28番~第30番。
モーツァルトは故郷を離れ、マンハイム、さらにはパリへと就職活動を兼ねた長期旅行に出かける。旅先で母を亡くし、失意と絶望のうちにザルツブルクへ戻ったことは先に述べた。だが才能を持て余すモーツァルトは、間もなくしてザルツブルクの大司教と衝突し解雇される。世界初?のフリーの音楽家として身を立てるべくウィーンに出ていくことになる。モーツァルトの伝記で最も興味深いのは、このパリ旅行からウィーンへ出て行くまでのところだと思う。この時期、丁度20歳前後からは音楽もより成熟してゆく。だがそれは、この初期交響曲集で聞くことのできる音楽が作曲された、そのもう少し後ということになる。


【第Ⅱ集収録曲】

1. 交響曲ニ長調 K97/73m(旧ブライトコプフ版番号:第47番)
2. 交響曲ニ長調(「アルバのアスカーニョ」K111:序曲&第1番、フィナーレ K120/111a)
3. 交響曲ト長調 K124(第15番)
4. 交響曲ニ長調 K161/141a(第50番)(「シピオーネの夢」K126:序曲、フィナーレ K163)
5. 交響曲ハ長調 K162 (第22番)
6. 交響曲変ホ長調 K184/161a(第26番)
7. 交響曲ト長調 K199/161b(第27番)
8. 交響曲ト短調 K183/173dB(第25番)
9. 交響曲ニ長調(「にせの女庭師」V196:序曲、フィナーレ K121/207a)
10. メヌエットハ長調 K409/383f

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