2016年3月14日月曜日

プレイエル:交響曲集(マティアス・バーメルト指揮ロンドン・モーツァルト・プレイヤーズ)

イグナツ・ヨゼフ・プレイエル(1757-1831)という人はオーストリアの作曲家である。ヴァンハルにピアノを習い、ハイドンに師事した。その後パリに住みピアノ製造会社を設立したことで、ショパンが愛用したピアノのプレイエルとしてのほうが、今では有名である。

プレイエルは41曲もの交響曲を作曲している。それだけではない。14の協奏曲、16の弦楽五重奏曲、70以上の弦楽四重奏曲、60以上のピアノを伴う室内楽曲なども作曲している多作家である。しかし今となっては作曲家としてのプレイエルの名を知る人は少ないし、その作品となると全く知られていないと言ってよい。Wikipediaを検索しても、有名な作品は一切紹介されていないし、売られているディスクに彼の名を見つけることはたやすいことではない。だが彼はロンドンにおける一連の演奏会で、ハイドンと競い合った作曲家であるという。もっともこれはゴシップ好きのロンドンの新聞記事が書きそうなことで、人気の点では師匠のハイドンに及ばなかったらしいし、ハイドンとプレイエルの友人関係は良好であったという。そして老齢のハイドンに代わり、1800年頃のヨーロッパ各地で最もよく演奏されていたのはプレイエルだったらしい。

その珍しいプレイエルの作品を集めたCDを私は持っている。Chandosレーベルから発売された「モーツァルトと同時代の作曲家シリーズ」の中にプレイエルの交響曲が3曲収録されているのだ。丁度ハイドンのロンドン交響曲シリーズを聞いてきたことだし、そういうきっかけでもないとなかなか聞くことはない彼の作品を取り上げる。このCDにどういう理由でこの3曲が選ばれたかはよくわからない。

演歌やJPOPに同じ曲が多いように、古典派の作品も似通っている。私たちはハイドン、モーツァルト、ベートーヴェンくらいしか聞かないが(それもごく一部の作品に限られるが)、同じような作曲技法によって似通った作品が多数作られ、そして忘れ去られた。一部の作曲家による一部の作品のみが、この時代を代表する作品として現在取り上げられているのは、その作品がずば抜けて音楽性に富むからだと、素人の私は純粋に信じている。もっともフンメルのトランペット協奏曲など例外的に有名な作品はあるし、ガルッピのピアノ曲はモーツァルトと間違うほどだという人がいる。

収録されているのは順に、①交響曲ハ長調作品66(Ben.154)、②交響曲ト長調作品68(Ben.156)、③交響曲ニ短調(Ben.147)である。ただ作曲順は③が最も古く1791年、ハイドンが初めてロンドンを訪問した年であり、①は1803年である。この1803年はベートーヴェンが「英雄」を書いた年だが、まだハイドンは存命である。

ではそのプレイエルの交響曲はどんな作品だろうか。最初の交響曲ハ長調を聞くと、その第1楽章のなんと親しみやすいことか。まるで子供向けテレビ番組の主題歌のようである。そのまま歌詞をつければ歌えそうな曲。時代がもうロマン派に向けて走り出し始めた時期に、彼は古典派を行くような作品を作り続けた。流れるように楽天的に。

ト長調の交響曲もモーツァルト的というよりはハイドン的である。特に第3楽章の中間部と伴った堂々たるメヌエットや、最終楽章の明るく推進力のある様は、ハイドン譲りとでもいうべきか。エステルハーザで5年間も住み込みで働いた関係が、そのことを裏付けている。

ニ短調の交響曲は冒頭がモーツァルトの「ドン・ジョヴァンニ」そっくりの恐ろしい響きであるにも関わらず、主題が登場すると抑えきれないように陽気な姿が顔を出す。そしてこの曲もハイドンを思わせる部分がところどころに現れる。つまりプレイエルという作曲家に、親しみやすいメロディーを数多く見つけることはできても、ハイドンの機知、モーツァルトの孤独、あるいはベートーヴェンの苦悩を見出すことはできなかった。

それでもプレイエルの交響曲をもっと聞きたい場合、ウーヴェ・グロット指揮カペラ・イストロポリターナによる交響曲ハ長調(Ben.128)、交響曲へ短調(Ben.138)、交響曲ハ短調(Ben.121)の3曲を収録したCDも発売されており、Naxos Music Libraryからダウンロードできる(http://ml.naxos.jp/)。

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