先日のブログで、このモーツァルトの協奏交響曲(管楽器のための)を取り上げた際、この作品が時に偽作とさえ言われ、その理由として本来のフルートのパートが紛失していることなどを紹介し、後年米国の学者によって復元されたフルートを含む楽譜をもとに演奏されたマリナーのCDを取り上げた。こうなったら、長年繰り返し演奏されてきたクラリネット版についても聞いてみたくなるのは当然で、私もカラヤンの1971年の録音でこの曲を知った時には、実際、クラリネットを含む従来版であったことは先に述べた。
手元にカラヤンの演奏がないので、私のコレクションにないか検索してみたところ、何かの時に買っていたカール・ベームによる演奏が見つかったので、それを取り上げることにした次第。もっともカール・ベームによるK297bの演奏には、後年ウィーン・フィルと競演したものがあり、これはその前のベルリン・フィルとのものであり、録音された1966年は私の生まれた年である。ここで独奏を務めるのは、当時のベルリン・フィルの名手たちであるが、いずれもソリストとして名高い面々である。
オーボエ:カール・シュタインス
クラリネット:カール・ライスター
ホルン:ゲルト・ザイフェルト
ファゴット:ギュンター・ピースク
カラヤンがベルリン・フィルの帝王として君臨していた時代にあって、当時ウィーンとの関係が深かったベームは、時々ベルリン・フィルの指揮台にも立っている。特にドイツ・グラモフォンに録音したモーツァルトの交響曲全集は、長らく唯一の全集として売られていたし、特に後期の6大交響曲はそのすべてが名演であったと言われている。この協奏交響曲もその時に収録されている。ちなみにカップリングは、もう一つの協奏交響曲K364(ヴァイオリンとヴィオラのための)であり、この2曲を併録したCDは実際には珍しい。
ベームは後年ウィーン・フィルとの間で後期の交響曲や一連の管楽器のための協奏曲を再録しており、私もクラリネット協奏曲を始めとして、こちらの方がなじみが深いのだが、後年のベームはあのごつごつとした、若干冷徹ともいえるリアリスティックな表現が影を潜め、ウィーン・フィルの美しいアンサンブルに身を任せた演奏が多い。モーツァルトについても同様で、ベームを良く知る人はベルリンを指揮していた頃の演奏を好む傾向にある(ベームの輝かしき遺産はこのほかに、「指環」のバイロイト・ライヴとR・シュトラウスの一連の作品ではないだろうか)。
さてそのベーム指揮の協奏交響曲だが、これは先に聞いたマリナーの演奏とは随分表情が違う。一瞬全く別の音楽を聴いているのではないかと思うほどで、特に第1楽章の冒頭などは管楽器がオーケストラの間に溶け込んで得も言われぬハーモニーを醸し出している。これはいい塩梅というべきもので、あのフルートの高い音がなくなり、クラリネットの落ち着いた表情がむしろオーボエやホルンと溶け合うのは、共通の音域が多いからだろうか。つまり水彩画を見ているように輪郭はむしろ他の色と混ざり、ある意味でアナログ時代の品の良さを感じる。
ベームの指揮がここでも効いている。今では失われた響き(「コジ・ファン・トゥッテ」の歴史的名演に象徴されるような)が聞こえるのである。第2楽章の落ち着いた中にも緻密で溺れない響きは、常に自己を見つめている。中欧の、つまりドイツの、確固たる様式を感じることができる。休日でもスーツを着て過ごすようなイメージである。今では聞かれなくなったこのような演奏によって、モーツァルトの若い頃の音楽もまた、大人の音楽になっている。
今年のウィーン・フィルのニュー・イヤー・コンサート2017のテレビ番組(NHK)で、コンサート・マスターを退職したライナー・キュッヘル氏がインタビューに答えていたのを思い出す。まだ入団したての頃のエピソードにカール・ベームが登場したからだ。独奏部分で自己流を通そうとするキュッヘル青年に対し、この狡猾な老人は「私にモーツァルトの何たるかを説明させる気か!」と言ったそうである。指揮者がまだ圧倒的な権威を持っていた時代、音楽もまたゆるぎない価値観で統一されていた。ここで聞くK297bの第3楽章は、オーケストラはしっかりと独奏と絡みながらも一定のテンポを崩さない。すっきりと終わるオーソドックスな演奏は、今ではむしろ新鮮でさえある。こういう演奏で聞くことで、この曲の魅力が輝くという側面も大いにあるように思う。
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