2017年3月12日日曜日

モーツァルト:フルート協奏曲集(Fl:シャロン・べザリー、ユハ・カンガス指揮オストロボスニア室内管弦楽団)

気に入った仕事だけをやっていければこんないいことはない、などと大抵の人は思っているが、好きな仕事だけをしているように見える人でも、そう簡単な話ではないだろう。モーツァルトのような天才作曲家も、その幼少の頃からの音楽活動は、就職活動と密接に関連していた。今でも息子を、安定した収入のある職に付けたいと思っている親が多いのと同様、モーツァルト父子もまた同じだった。

だがいくらローマ法王の前で演奏をしても、あるいはヨーロッパ中で人気を博しても、結局は故郷ザルツブルクの宮廷音楽家としての道を歩まなければならなかった。モーツァルトは次第に不満を募らせてゆき、とうとう大司教と決別して単身ウィーンに出るのは良く知られているモーツァルトの伝記の、もっとも興味を掻き立てる部分である。

丁度人間の自由が尊重されはじめたフランス革命の時代にあって、現代人と同じ悩みをモーツァルトを抱いていたと考えるだけで、 クラシック音楽も実は、現代社会と価値を同じとする時代の、すなわち現代の芸術だと思わざるを得ない。こんなことを考えるのも、モーツァルトは自分の不本意な仕事もしなければ生きていけなかった、そして自らの芸術的志向と社会的現実に折り合いをつけながら、あの見事な作品を生み出したということに、いまさらながら驚嘆するからだ。

モーツァルトはフルートが嫌いだった。当時のフルートはまだ未完成の木管楽器で演奏が難しく、音楽的には単純な作品とならざるを得ないことを嫌ったからだと言われている。けれどもモーツァルトはフルートに関する曲を残した。ただし2つあるフルート協奏曲のうち第2番はオーボエ協奏曲ハ長調からの転用で、これはモーツァルトがサボタージュをして労力を節約したためだ。このため調性はことなるものの、同じケッヘル番号が与えられている。

一方フルート協奏曲第1番はれっきとしたフルート用作品だが、少なくともこの曲を聞く限り、モーツァルトがフルート嫌いだったとは思えないような素晴らしい作品である。作曲する以上は、ちゃんとした作品に仕上げたい、ということもあるのだろうと思う。モーツァルトのフルートを独奏とする作品は、この他に4つとの四重奏曲が残されているが、しばしば演奏されテレビのCMに使われるほど有名なこの四重奏曲もまたしかりである。

私がなぜか買って、長年しまっていたCDに、シャロン・べザリーというイスラエル生まれの女性フルーティストが演奏したBISレーベルのハイブリッド盤がある。そしてこのCD(SACD)にはモーツァルトの残したオーケストラとフルートのための全作品が収録されている(下記の【収録曲】参照)。ここで「フルートと管弦楽のためのアンダンテ」ハ長調は第1協奏曲の第2楽章「アダージョ」の代用として書かれた。一方、「フルートと管弦楽のためのロンド」ニ長調は、「ヴァイオリンと管弦楽のためのロンド」ハ長調K373からの転用である。

伴奏を務めているのはフィンランドのオーケストラ、オストロボスニア室内管弦楽団である。指揮は創設者であるユハ・カンガス。

私は北欧を含む西側ヨーロッパ諸国を、たいてい旅行したことがあるのだが、アイルランドとフィンランドだけは足を踏み入れていない。かつてシベリア鉄道でヨーロッパ旅行を計画していた時には、いかに早くソビエトを脱出してヘルシンキに向かうか、時刻表を頼りに一生懸命考えたことがある。それでもヘルシンキは通過地点に過ぎず、西ドイツあるいはフランスに早く向かうため、フィンランドはそのまま西へ向かって海を渡り、一路ストックホルムを目指す予定にしていた。理由は物価が高いからである。そしてフィンランドに他に見るべきものがあるのだろうか?と思っていたのだ。

結局シベリア鉄道旅行は今だにできていないのだが、この時スウェーデンに向けて渡る海がボスニア湾で、ここの東側にあるのがオストロボスニア室内管弦楽団だろうと思って検索してみたら、やはりその通りであった。けれども海に面してはいないコッコラという町にあるようで、その位置は首都から北極圏へ向かって、何と数百キロも行ったところであり、人口はわずかに5万人弱というから甲子園球場の観客定員よりも少ない。そりに乗ったサンタクロースがいるのが、まさにこの地域だろうと思う。

そんな寒い北欧の田舎の室内管弦楽団がインターナショナルなレーベル(といっても北欧系のBISだが)に登場し、モーツァルトのフルート作品集を録音している。それだけで興味がわくが、その演奏は早めのテンポで極めて美しい。テクニックが見事というしかなく、早めのテンポの中にそっと入ってきたと思うと、さらっと吹いて出てゆく。音楽がクリアーなのは北欧の澄み切った青空と乾いた空気感を思わせるのは他の録音でも同じである。でもシベリウスの作品などは時に荒々しく、どちらかというと薄曇りのような天候も思わせるので、これは偏見に満ちた想像でしかない。

この演奏の特徴はカデンツァにフィンランドを代表する現代作曲家のひとり、カレヴィ・アホのものが使われていることである。調べてみるとアホはべサリーのために協奏曲も作曲しているようで、彼女はそういった関係もあったのだろいうと想像がつく。モーツァルトの音楽を気持ちよく聞いていて、突如カデンツァに入ると現代風のものになるのは、最近ではよくあることだが、この演奏でもまた同じである。ところが独奏楽器がフルートということになると、何か横笛・・・我が国の笛、もしくは尺八を想像してしまう。これは同じCDに収録された「フルートとハープのための協奏曲」でも同じで、こちらはハープの音が琴に聞こえてくる瞬間がある。

ベザリーのフルートはCDのジャケットの裏表紙に記載されいるように日本製である。ムラマツ24Kゴールドという点について私は詳しくは知らないが、金色をしており特別製だそうである(ホームページでみると1000万円程度する)。一方オーケストラにフルートはいない。フルートが吹くパートは、オーボエによって吹かれている。いろいろな点で興味をそそる演奏である。


【収録曲】
1.フルート協奏曲第1番ト長調K313
2.「フルートと管弦楽のためのアンダンテ」ハ長調K315
3.フルートとハープのための協奏曲ハ長調K299(Hp:ジュリー:パロック)
4.「フルートと管弦楽のためのロンド」ニ長調KAnh.184
5.フルート協奏曲第2番ニ長調K314

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