このたび東響の定期会員になったことで、このコンサートに出かけることとなった。今回のプログラムは、前半にフランス音楽、後半にドイツ音楽の、それぞれ15分程度の小品が並ぶ。言ってみればポピュラー・コンサートのような趣だが、有名である割には実際のコンサートで取り上げられる機会が意外と少ない曲ばかりだ。こういう機会にきっちりと生演奏で聴かせてくれる機会はなかなかないのが実情であり、CDではよく聴いていた名曲を実演で味わえるのが楽しみだった。
全体のテーマは「ゲーテ」。ゲーテの作品を題材とした楽曲はほかにもたくさんあり、思いつくままに挙げても、ベートーヴェンの「エグモント」、ベルリオーズの「ファウストの劫罰」、リストの交響詩「ファウスト」、マスネの歌劇「ウェルテル」など、枚挙に暇がない。それほど膨大な作品群のなかから、今回は上記の小品が選ばれたわけだが、後半のブラームスの2曲には合唱(東響コーラス)が加わり、最後の「アルト・ラプソディ」にはさらに独唱が付く。今回、そのアルトのパートを歌ったのは、カウンターテナーの藤木大地であった。
一見するとポピュラーな名曲が並ぶプログラムだが、定期演奏会とあってはオーケストラも全力投球である。今回の私の座席は前から6列目。ここからは最前列の弦楽器奏者がずらりと見渡せ、幾人かの楽器からは直接音がストレートに伝わってくる。後方の楽器(管楽器や打楽器、それにチェロなど)はまったく見えないため、視覚的にベストとは言い難いが、たまにはこのような前方席で聴くのも悪くない。
たとえばグノーの「ワルツ」などは、あの有名なメロディーが何の雑味もなく、クリアに響く。まるで絹のような弦楽器にシャンシャンと打楽器が心地よく鳴り響き、目の前でバレエが踊られているような気分にさせられた。クラシック音楽を生で聴く喜びには、こういう席でしか体験できない要素も確かにある。
また、「アルト・ラプソディ」で見せた独唱、合唱団、そしてオーケストラの一体感と言ったら、何と表現していいのだろうか。演奏の途中で別の席に移動することはできないから、自分の席で聴いた音がホール全体としてどうだったのかを知る術はない。だが、あの位置で聴く音のブレンド感は、録音メディアでは決して再生できないほどの密度で融合しており、まるで天上の音楽のような美しさであった。
このアルトのパートをカウンターテナーが歌ったことについては、様々な意見があるだろう。私自身、カウンターテナーとしての独自の魅力を確かに再発見できたものの、それがこのブラームスの楽曲に合っていたかどうかと言われると、判断が難しい。カウンターテナーの濁りのない純粋さは宗教音楽などで大きな魅力を放つ気がするが、ロマン派の世俗歌曲にまで合うかというと、なかなかそうとも言い切れない。もっともこれは、クラシック好きにありがちな、保守的な偏見なのかもしれないが。
プログラムの中では「魔法使いの弟子」が比較的演奏頻度が高いだろうか。フランス音楽の軽快さとユーモアを兼ね備えた楽しい曲だが、デュカスはこの1曲のみが突出して有名で、私は他の作品を知らない。ここでの沖澤の指揮は常に安全運転で、音楽が少しこじんまりとまとまっていた印象だ。「ファウスト」のバレエ音楽にしても同様で、曲自体があまり凝った構成でないことも手伝ってか、次第に単調に聴こえてきてしまった。
一方で、後半の最初に演奏されたメンデルスゾーンの「静かな海と楽しい航海」では、ドイツ・ロマン派の香りが心地よく漂い、フランス音楽の鮮烈な色彩感から、淡い水彩画のような音色へと変化した。この音の変化の妙味は実に楽しい。
そして後半のブラームスに至っては、ずっしりとしたロマン派後期の重厚感が迫ってくる。それはまるで、スパークリング・ワインから、シャルドネの芳醇な香りを経て、まろやかなメルロー、さらにはしっかりと渋みの効いたカベルネ・ソーヴィニョンへと進んでいくような、贅沢なグラデーションだった。今となってはコンサートで滅多に聴けなくなったポピュラー名曲の数々も、こうして前方の席できっちりとした演奏を聴くと、オーケストラの細やかな音色の変化を存分に堪能できる。そんな音楽の醍醐味を改めて実感させてくれた、私にとっては今シーズンを締めくくるにふさわしい見事なコンサートだった。


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