高校生になると急に忙しくなり、日程を合わせるのも難しくなってきた。けれども夏休みを利用して私たちは次のセクションを歩く予定を立て、記録によれば1982年8月19日早朝、阪急北千里駅に集合した。ここから阪急で四条河原町まで行き、さらに鴨川を少し歩いて三条京阪に向かう、というのが私たちのここ数年来のパターンであった。延暦寺からスタートすべく私たちは、京阪大津線を坂本まで乗り継ぎ、さらにケーブルカーに乗って根本中堂に行く、というのがその日の計画だった。
ところが夏だというのにその日は天気が悪かった(と思う)。私たちは延期しようかと話し合ったが、スケジュールが合わないと次回は次の休みにまで持ち越しかねない。そこで急遽、コースを変更することにした。今回は山道を避け、主として大津市内の平坦なコースのみを歩く、ということにしたのである。すなわち、京阪大津線を逢坂山トンネルまで行き、ここと立体交差する東海自然歩道を逆行、近江神宮などを通って延暦寺のふもとの地点まで行き、次回は残りの区間を歩く、というものであった。
実際にどのように歩いたかは断片的な思いでしかないのでよくわからない。ただ今にも雨が降り出しそうな中を逢坂山トンネルの入り口まで行き、
これやこの ゆくもかえるも 別れては 知るも知らぬも 逢坂の関
という蝉丸の歌で有名な逢坂の関の跡地(歌碑がある)までたどり着いたことは覚えている。ここから東海自然歩道を下りのルートで出発した私たちは、少し山道を歩いて三井寺に着いた(はずである)。
三井寺というのもまた立派な天台宗のお寺で、ここを含めて滋賀県にも数多くの名刹・古刹の類がある。そしてそれらは京都のように観光化されすぎていないため、一度はゆっくりと訪ねてみたいものである。大津市の郊外を進み、次の目的地は近江神宮であった。
天智天皇によって遷都され、一度は日本の首都でもあった時期もある近江神宮はまた、小倉百人一首のかるた会が開かれることでも知られている。
秋の田の かりほの庵の 苫をあらみ 我が衣手は 露にぬれつつ
というのは百人一首の最初の歌で、天智天皇は中大兄皇子としても知られているが、近江神宮自体は昭和に入ってから建てられた整然とした神宮であった。
東海自然歩道について書かれた本はいくつか持っている。そのうち2001年に文庫本で発売された「シェルパ斉藤の東海自然歩道全踏破」という本は、軽妙な文章で面白い。彼は1989年に歩いているようだが、もちろん東京からの出発である。この区間も石山寺から始まって野宿をしながら嵐山まで行くという強行軍で、私たちのようなゆっくりのんびり派とは異なり本格的なトレイルである。彼はアウトドアの分野では良く知られた人で、世界中の道をヒッチハイクなどをしては日本に帰り、日記風の本を出版し続けている。ガイドとしては役に立たないが、そもそもこの道について書かれた本がそう多くはないので、貴重ではある(ただ今ではホームページもあるので、多くの情報を得ることはできる)。
2012年9月10日月曜日
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