
私たちはすでに「オテロ」や「サロメ」を知っているので、このような劇もまたありだろうとは思うのだが、それが19世紀の半ばでなされたことは驚くべきことだ。詳細に見てみよう。ヴェルディは1813年の生まれだから、初演当時(1847年)では34歳ということになる。そして18年後に大幅に改訂を行うのが1865年だから52歳である。この1865年というのは、すでに「椿姫」「リゴレット」などの中期を通り越し、「ドン・カルロ」を完成させた頃である。この間の音楽的発展にも目を見張るが、驚くのはもう老年に差し掛かった頃になって、今親しまれている「マクベス」の改訂版を作ったことである。
この改訂では初版の音楽にかなり手を入れているということだが、今では改訂版の上演が主流であるため、私も聞いたことがない。そして音楽は後年の充実ぶりを反映していながら、初期の美しい音楽のスタイルも残している。両者はうまく融合し、合唱の素晴らしさも随所に現れる。幕が開いて第2場に登場するマクベス夫人は、手紙をモノローグで読んだあといきなりずっしりとした声を轟かせて「野望に満ちて」を歌わなければならない。すぐに彼女はイングランド王の暗殺を思いつき、亭主にそそのかす。その急転直下の感情の変化を、当たり役のグレギーナは圧巻にやってのけた。
時に躊躇する小心者の夫マクベスを演じたのは、代役として登場したルチッチという歌手だが、標準以上の出来栄えでヴェルディ・バリトンを堪能することができた。さらにはただひとつしか歌わないテノールのピタスも、なかなかの歌声で喝采をさらった。
このオペラでは主役級の女性がマクベス夫人ただひとりで、彼女の出来栄えがすべてである。最終幕の夢遊病のシーンも悪くなかったが、全体的に欠点といえるものがないバランスのとれた高水準な出来栄えが、このオペラの真髄を伝えることに成功した。最後まで暗い舞台と不気味な歌詞も、凄まじい迫力と圧倒的な緊張感の連続が見るものを飽きさせない。
その成功の最大の功績は、何と言ってもレヴァインではないだろうか。最近は病気で指揮台に登場しなくなったレヴァインが、歌手を引き立てながらもリズムを揺らさないおなじみのストレートな指揮ぶりで、歌手をしてのびのびと歌わせ、オーケストラの協力的な熱演を誘った。リバイバル上演だというのに映画館には数多くの観客が詰めかけ、最近にはない混雑ぶりだったことは、この上演の成功が確固たる事実として定着したことを示していたと言うべきだろうか。
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