東海自然歩道も京都に入ると、行く先々が名所旧跡で楽しさが増してくる。夏になって再び清滝に来た私たちは、ここから神護寺を目指して歩き始めた。観光コースとは言え真夏である。ただでさえ暑い京都の山道を歩くという人もそれほど多くない。清滝川沿いの道を、私たちは比較的速いペースで歩き始めた。
神護寺が見えてくると、頭の上にお寺の一部が見え、観光客が投げる「からわけ」と呼ばれる陶器のかけらが見えないかと目をこらしたのを覚えている。周山街道、すなわち国道162号線は、京と若狭を結ぶ古くからのルートのひとつで、北山の山中をまっすぐに北上するルートである。私も一度ドライブしてみたいと思いながら、いまだに果たせていない。
このハイキングからさらに数年前、私は祖父に連れられて神護寺へお参りに来たことがある。まだ市電の走っていた頃のことである。国鉄京都駅前から国鉄バスに乗ろうとしたが、あまりに人が多く足の踏み場もないような混雑だったことを記憶している。それほど昔から人の多いこのあたりだが、それはおそらく紅葉のシーズンだったからだろうと思う。
神護寺は高野山真言宗の寺院だが、ここはその開祖である空海と、そして天台宗の開祖である最澄がともに関わりのあるお寺で、そういう寺は珍しいばかりか、国宝がいくつも置かれている、なかなかのお寺である。その神護寺をベースとした我が国の仏教のふたりの巨星のエピソードは、私の想像力をかきたててかなり興味深い。いわば国費留学生だった最澄が、私費留学生ながら密教を本格的に授かって帰国した後のふたりの出逢いと決別・・・そのような話を私は最近「百寺巡礼」(五木寛之著、講談社)で読んだが、その神護寺がこのとき通ったお寺だった・・・のである。
このような名所を経ておきながら、その中間の道はそっけないほどに整備されていないのもまた京都府内の自然歩道である。次の観光地、貴船神社と鞍馬寺につくまでは、何キロにもわたって車道(つまり国道)を歩く。これでは自然歩道ではないか、と言いたくなる無愛想なところがまた京都らしい、などと考えながら、ダンプカーやトラックの行き交う道の端を歩いた。京都もこのあたりはまるで人里離れた山中で、なにやら怪しげでしかも不気味ですらある。
2012年9月4日火曜日
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