ウェーバーの歌劇「魔弾の射手」は、ドイツ以外ではあまり上演されないようで、私も未だに一度も実演に接していない。これほど「ドイツ的」なオペラもないのは、あの長いダイアローグがすべてドイツ語によってなされることから、ドイツ人の歌手を揃えて満を持して上演しないといけないからだと思う。だがそういうと、モーツァルトの「魔笛」だって台詞は多いし、ワーグナーの「ジークフリート」だって台詞こそないものの、至って長い歌詞をすべてドイツ語で歌わなければならないではないか、と言われるかも知れない。
確かにそうであるのだが、それらがインターナショナルな評価を得た第一級のオペラであるのに対し、少し地味な感じがするし、特別に歌唱力を要求される難しい歌があるわけでもなく、何ともローカルな印象を拭えない。そのような特別な人気があるわけでもないオペラとなると、ドイツ人を揃えて上演するほどの期待値が高まるわけではないということになって、興行上困難なのではないか、などと勘ぐってしまう。
けれどもディスクで聞いてきた身としては、このオペラが数多くの合唱や管弦楽に彩られ、ロマン派前期特有の、構成美を有しながらも叙情にも満ちた素晴らしいバランスを保っていることを考えると、一度は実際に見てみたいと長い間思っていた。ベートーヴェンからいきなりワーグナーに飛び越えるのは、何か違和感があるのも事実で、その間に位置する最重要作品とあらば、なおのことである。その歌劇「魔弾の射手」が映画となっていることを偶然発見し、しかもそれが近くの映画館で上演されるということを新聞で知ったことは、私にとっての今年の大ニュースのひとつであった。
そういうわけで有楽町のヒューマントラストシネマという新しい映画館に駆けつけたのだが、ここは小さな映画館がいくつも列ぶところで、イトシアという新しいビルの4階にあった。座席数は数十で、満席ではないが4割くらいは埋まる、この手のものとしては上出来の観客数で、土曜日の夕方ということもあり、見に来る人もいるものだなあ、などと思ったのである。演奏はダニエル・ハーディング指揮のロンドン交響楽団、2010年スイス映画。監督はイェンス・ノイベルトという人である。
まず思ったことは、このような古典的な舞台(それも森や村、野原などである)の映画がよく撮れるものだなあ、ということ。丁度大河ドラマのロケのようで、当時の風習(1650年頃のボヘミア)が、日本人の私にはよくわからないのだが、上手く描かれているのだろう。我が国に置き換えれば、元禄時代の風習を再現しなければならないのと同じだろうか。
急に何百年もの昔にタイムスリップさせるための、オペラ映画でよく使われる方法をこの作品も使用している。小学生が森に遠足にやってきて、そこで人形劇をするというものである。序曲の間その光景が映し出される。これは現代である。この、原作にはない登場人物は、幕間にも登場するが、それがうまくアクセントになって、全体の劇の奇妙な興奮と錯覚と鎮める効果を示す。歌劇であることとストーリーが滑稽であることを、忘れてしまう効果はこの作品にもあるので、それをうまく中和してくれるのだ。
猪谷の場面は、音楽だけで聞くと何やら騒々しい音楽で、恐ろしい雰囲気も持ってはいるがそれは音楽上の表現にすぎないと思いがちである。この時代の音楽は、まだ全体に古典的雰囲気を残しているので、物語を型にはめて表現する傾向がある。しかしそれでも映像を伴ってこのシーンを見ると、ボヘミアにかくも深い谷があるのか、と思うことに合わせて、その恐ろしさが倍増する。もしかするとこの音楽は、そのような一種オカルト的な映像付きの場面の映画音楽にしても十分に威力を発見する、現代的な雰囲気をすでに持っているのではないか、と思うのである。それはワーグナーが後を継いだロマンチックな世界である。
女性の歌についても触れておかねばならない。エンヒェンとアガーテの二重唱などは、この映像の白眉ではないだろうか。全体に各場面が印象的である。第1幕では村が舞台で、農村の土臭い身なりの人々が群れ集う中、射撃大会の行われるシーンはこのようだったのか、と思う。自分の想像で聞いていたことがいかに情報不足だったということか。第2幕の城か宮殿を利用したシーンは大変美しいが、猪谷の場にいたって急転直下、夢にも出てきそうな怖いシーンが映画ならではだ。
第3幕では宮殿の庭で、射撃大会が行なわれる。ハッピーエンドがしらけないかと心配したが、隠者などもうまく登場して、それなりに劇としての形式を維持していることに驚く。最終的に、これはやはり映画だろうということで、映画でなければできないオペラの新しい表現を、今日この作品でもやってのけた、というところが私にとっては何とも嬉しく、新鮮であった。
(2012年3月24日)
【出演】フランツ・グルントへーバー(Br)、ベンノ・シュルム(Bs-Br)、ユリアーネ・バンゼ(S)、レグラ・ミューレマン(S)、ミヒャエル・フォッレ(Br)、ミヒャエル・ケーニヒ(T)、ルネ・パーペ(Bs)、オラフ・ベーア(Br)他、ベルリン放送合唱団、ロンドン交響楽団/ダニエル・ハーディング、監督:イェンス・ノイベルト
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