それでも舗装のされていな山道へ入ると、そこは一本道であった。山里の散策は私たちをいい気分にさせた。昔からの山道が、いまなお当時のまま残っていると思うと不思議な感覚だった。「苔寺」として有名な西芳寺(京都市西京区)のあたりを通り過ぎた。今では世界遺産などとされているが、当時でも数多くの観光客が訪れる名刹だった。しかし私たちはまたいつでも来れる、などと言い合い、こういった有料の名所には立ち寄らなかった。これはその後に通過した各地の名所でも同様だったが、あれから30年がたっても今なお訪れていないのは少し残念な気がする。
松尾というところは、阪急嵐山線の終点嵐山の一つ手前の駅で、目立たない駅ではあるが松尾大社という広大な神社があって、その前を桂川がながれている。古事記にも登場すると言われるその風格ある神社は、これが京都になければもっと目立つ存在になったであろう、などと思った。静かで背の高い木立の参道の中を通って行くと嵐山の駅前に至り、そして有名な渡月橋を渡った。
嵐山は小さい時から何度か来たところだが、いつ来ても人が多い。欄干部分が木造の長い橋は、自動車も人も通るので狭いが、渡り終わって見る風景は写真と同じように美しい。土産物屋にたむろするおばちゃんや修学旅行生に混じって、私たちは嵯峨野と呼ばれる地区に入っていく。ここの嵐山の風景を思い出すと、何年たってもほとんど変化しない風景の良さというものを感じる。変わりゆく大都市の風景とは対照的に、変わらない美しさというものを実感する。実際はそうでもないのだろうが、いつきても、前と同じような感じがするのだ。
小倉山 峰のもみじ葉 心あらば いまひとたびの 行幸待たなむ
という歌で知られる小倉山は、また「小倉百人一首」の小倉山のことで、この嵐山にある。調べてみるとこの歌を詠んだ藤原貞平は9世紀の人だが、百人一首を編纂した藤原定家は13世紀の人で、その間は500年もある。その百人一首を編纂したとされる小倉山荘があったという常寂光寺もその付近にある。

東海自然歩道を上りで歩く手引きとして、私たちは読売テレビが編集した全4巻からなる「完全踏破」ガイドブック(創元社、1973年)を持参していた。細かい分岐道まで細かく紹介しているこの本が、私たちのバイブルだった。だがいまでは入手も困難となり、そしてそのような力作が出版されることも、以後はないのではないかと思うと残念である。
0 件のコメント:
コメントを投稿