石山寺を出たところで東海自然歩道は分岐する。2つの道があってどちらを通ってもいいのだが、鈴鹿のあたりで2つの道は合流し東京へと向かう。東海自然歩道にはこのようなオールタナティブなルートが2箇所あって、もう一つは名古屋方面だが、どうしてこのようになったのかはよくわからない。
私たちはどちらのコースを進むべきか、ここで少し迷った。できるだけ早く東京に近づくには、石山寺から宇治川を渡って信楽へ抜け、概ね旧東海道の近くをたどるコースは、付近に見所こそ少ないが、たった2回の行程で合流地点へ行ける。しかしこの場合、往復の交通費だけで相当な出費を覚悟しなければならないし、時間がかかる。
それに対し、宇治を経て奈良盆地を縦断するコースは、いわゆる「山辺の道」を通ることになるので、ほぼ平坦な道が続く。登山好きの人はこのような平坦なコースを「つまらない」などと嘆くが、名所旧跡に寄れるのはこちらの方で、持参しているガイドブックはこのコースに入っていく。大阪からあまり急激に離れて行かないので、往復の電車も便利である。
私たちは後者、つまり奈良経由の道を選ぶこととし、再び石山寺にやってきた。それは1983年3月末のことで、4人は高校2年生の始業式を間近に控えた春のある晴れた日であった。石山寺を見ることもなく歩き出した私たちは、やはり西国三十三箇所の札所として有名な岩間寺も通過するだけとなったことが悔やまれてならない。このような山間部のお寺に行く事は、結局その後の人生においても達成されていない。しかし若い時は、人生が無限のように思えるものだ。私はそれより拝観料と時間がもったいないと思ったし、お寺を見る楽しみなどというものにはほとんど興味がなかったのである。
名神高速道路が京滋バイバスとして宇治へ向かう道は、これがまた険しい道で、冬などは天気が変わる。しかも山の中の道となれば、あるのは電力の鉄塔かテレビの中継所くらいで、ほとんど人が住んでいないような山間部である。だがそこは京都と大津と宇治という、大昔からの町の丁度真ん中のような地点で、そこがまだこのように昔ながらの風景をとどめているのか、などと思ったことは覚えている。宇治茶などを算出する京都府の南部の古い山里を歩きながら、ほとんど人がやって来ないような平凡にして隔離された山間の村が、いまなお静かにその美しさを保っていることに少なからず感動を覚えた。
宇治は平等院に来たことが2回あるだけであった。京阪の宇治駅から大阪までどのように帰ったかは記憶が無い。一度京都へ出たのではなく、おそらくそのまま淀屋橋へ出たのではないかと思う。次回の行程はこの続きとなる予定だった。だが、私たちはどう魔が差したのか欲張りなことを考え始めていた。山の辺の道を完歩する前に、合流地点までひとまず行ってしまおうと考えたのである。かくして次回の自然歩道ハイクは、再び石山寺を起点とし、信楽までのコースをたどることになったのである。
※写真は「東海自然歩道」(読売テレビ編)第1巻に付けられていた付録の地図の一部。踏破した部分を黒く塗っていった。
2012年9月14日金曜日
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