2012年9月15日土曜日

東海自然歩道⑫(石山寺~雲井)

1983年のこの年もやはり暑かった。石山寺から宇治川を渡って歩き出した私たちは、滅多に人の歩かないような道を信楽を目指して進んでいた。ただ平凡な道であったことと、夏のために草は生い茂り、蜘蛛の巣があちこちにある。蛇も出てきそうなところを、私たちは気合を入れて歩く。一人では少しこわいような道が延々と続いた。

小学校の卒業と同時に始めたこの奇妙なハイキングも、今回で12回目となった。私たちはそれぞれ違う高校の2年生になっており、勉強やクラブ活動に忙しく、そしてしばらくすれば大学受験が控えている。1年に2~3回づつ、5年にわたって歩き続けてきたが、そろそろこの先どうするかを考えなくてはならない。このままのペースではいつ最終地点へ着けるかもわからないし、第一大学生になっても続けるのか、誰かが浪人生になればどうするのか、などと漠然と考えていた。

林道のようなところを歩いて飽きてきた頃、田代という何の変哲もない村を通りがかり、私たちは喉が異常に乾いていたので、そこへ着けばジュースの販売機か、あるいは何か飲み物を売る店くらいはあるだろうと考えた。まだコンビニエンス・ストアなどない時代である。ところが、その集落には店が一件もないばかりか、自動販売機も何もないのである。私たちはその異様なことにまず驚き、そしてどのようにすればこの喉の渇きを癒すことができるだろうかと考えた。今日の終点まではまだ峠をひとつ越えなければならない。

私は思い切って、そこにあった一軒の民家を尋ねることにした。暑い夏の昼下がり、何やら怪しげなところで不気味だったが、そこに一人の女性が出てきた。私はハイキングをしていることを告げ、この付近に店か販売機がないかと尋ねたのである。しかしその人は、残念ながらそういうものはない、と言うのである。ここの集落の人はどうして過ごしているのか、今でも謎である。そう言えばバス停らしきものはあったが、バスが来る気配もない。

私たちが困り果てていると、女性は家の奥から冷たい麦茶を出してきて、よかったら飲んで下さいと言ってくれた。私たちは好意を受けることとし、その冷たい麦茶を思い切り飲んだ。奇妙なところだったが、親切な人に出会うことができたことで気を取り直し、国鉄信楽線の雲井駅を目指して歩き出した。信楽線の途中の無人駅は、列車が1日に数本しか来ないという超ローカル線の駅であったが、私たちはそのうちの1つに待って乗ることができた。柘植、そして木津を経由して大阪に帰った頃は、もう陽が暮れていた。

私たちの東海自然歩道ツアーは、これが最後であった。その後、4人はそれぞれ受験勉強で忙しくなり、誰も誘い合わないまま自然消滅してしまった。うち2人とは今でも年賀状のやりとりがあるが、30年近く会っていない。一人は私と同じ関東在住で、今では大学生の息子がいるお父さんのようだ。今は銀行勤めの彼は、小学校の高学年で近くの市に転校し、違う中学、高校を経て関西の大学に進学した。就職して埼玉在住となったので、私は大宮に住んでいた頃に会おうとしたことがある。もう一人は京都の薬科大学へ進学し、今では大津に住んでいる。彼はこの最終地点にもっとも近い。最後のひとりは、大学を中退しアルバイトをするうちに行方不明となってしまった。いまではどうしているのか、何もわからない。(完)


※東海自然歩道に関する本は多くない。そのうち、右は「東海自然歩道ウォークガイド」(日本万歩クラブ編、1994年、学研)で、東京からのガイドだが、細かいところは地図が示されるだけである。

※左は地図として出版された(2001年、ゼンリン)。だが細かいところはよくわからない。

※今東海自然歩道がどうなっているのかはよくわからないが、Googleで検索すれば多くの歩行記が見当たる。写真や地図も豊富なので、これらを参考にすれば迷うことなく行程を進むことはできるだろう。


※公式なものとしては、環境省のHP:http://www.env.go.jp/nature/nats/shizenhodo/tokai/index.htmlに「東海自然歩道連絡協会」のページ:http://www.tokai-walk.jp/がリンクされている。

(追記)東海自然歩道のもう一つの出発点である東京の高尾国定公園には、私の家からも比較的簡単にいくことができる。この文章を書きながら、初めて訪れてみたくなった。その際には追加的な文章を掲載しようと思っている。

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