いくぶん寒さの和らいだ日曜の午後、ふとしたことから何十年ぶりかに昔の日記を読み返してみた。日記とはいうものの二十歳そこそこの頃は、ごくたまにしか書いていなかった。その中で1988年1月6日の朝には、前日の友人たちとの飲み会でほとんど記憶を失ったことが書かれている。早朝に目が覚め、心の中にずっと居座り続けていた苦悩・・・それは青春の苦悩と呼ぶべきもので、いつ晴れるともわからない焦燥と不安・・・が少しは晴れてきたかのようなことが書かれている。
失恋や挫折といったありふれた若者の気持ちが、そこには書かれていた。当人は深刻だったが、今から思えば何のことはない、ひとつの「さすらう若人の歌」である。大学2年生だった私は、酔いの抜け切れないまま早朝に家を飛び出し、寒い冬の街をさまよっていた。
「朝だ。朝が来た。待っていた朝が来た。布団を抜け出し、ジャンパーを着て外に飛び出した。明るい日差しが透明に光り、眩いばかりだ。小高い丘に登る。遠くに大阪平野を取り巻く山々が見え、その下に朝日に照らされた静かな郊外の家並みが続く。平和で美しい光景だと思った。」
今から思えば恥ずかしい文章も、当時にしか書けない感性があるのは事実である。
「歩き出す。街の中へ。オートバイが通る。車が走っていく。街は動き出している。こうはしていられない。身を引き締めて木立の中を一歩一歩踏みしめながら歩いてゆこう。・・・この世の中で自分の生きる道を探さねばならない。だがあの暗い闇の中でさまよい、苦しむことは、もうない。そう信じたい。これからは大変だ。忘れてきたものが沢山ある。やらねばならないことも沢山ある。」
「再び静かな住宅街の中を歩いている。少し坂を登った所で後を振り返ってみると、そこにも大きな風景が広がった。美しい。その時心の中には、あのマーラーの『巨人』のメロディーが鳴り響いていた。」
マーラーの交響曲第1番「巨人」。これは私の青春の音楽のひとつである。何故この時マーラーが思い浮かんだのかよくわからない。私はそれほどこの音楽家の作品を聞いてはいなかったし、レコードも持っていなかった。作品のいきさつも、伝記も、何もほとんど知らなかった。確かにバーンスタインがニューヨーク・フィルを指揮した演奏をカセットに入れてはいたし、この曲が若きマーラーが壮大な交響曲への挑戦を開始する最初の曲であることくらいは知っていた。私は何か、とても象徴的な意味を感じ、少し自分にいい格好をして書いたのかも知れない。だがその感覚はあまり的外れではなかった。
とにかくこの文章を書いてからというもの、私の心の中にマーラーの音楽に対する思いが芽生えた(そういうことがあるから、日記というのは書くに値するものだ)。上記のバーンスタイン盤は、しかし私をあまり満足させなかった。エアチェックの録音が悪かったからかも知れない。できれば新しい演奏に出会いたいと思った。そこに登場したのが、ベルナルト・ハイティンクによる新盤である。演奏は長年手兵だったコンセルへボウではなく何とベルリン・フィルだった。これはきっといい演奏だろうと思った。私が月一枚のペースでCDを買い始めるに当たり、その最初に選んだのがこのCDである。まだLPも売られていた時期だから一枚3500円はした。輸入盤を探せば2500円程度だった。アルバイトの帰り道、私はこの新譜を買い求め、そして聴いてみた。録音は1987年である。
冒頭の弦楽器のピアニッシモの瞬間から、ゾクゾクするような感覚に見舞われた。無駄のない緊張感に満ち、何と透明な音だろうと思った。やがてカッコウの鳴く音がすると、それが次第にふくらんで、そろっと、だが確実にあの主題のメロディーが流れだす。この演奏だと思った。私は嬉しくなり、何度も聞いた。第2楽章の生き生きしたリズム感がまたいい。ベルリン・フィルの木管は物凄く上手いと思った。コントラバスのメロディーが静かに歌い出す第3楽章になっても、ハイティンクの確かな構想力が、この音楽に大人の感覚を与えている。
第4楽章が決然として始まるところからの迫力が、この演奏が一定の距離を置いた、少し冷めた演奏ではないことを明確に示している。ほとんど完璧なバランスながら、実に熱のこもった演奏である。ベルリン・フィルが燃えている。この演奏のあとに、第2番「復活」、第5番、第6番「悲劇的」などが続いたが、全集になることはなかったのが悔やまれて仕方がない。
「巨人」は素晴らしい音楽で、実演で聞くと外すことがまずない。だがCDとなると必ずしも名演奏とは限らない。私も世間で評判の演奏・・・シノーポリ、アバド、ショルティなども聴いてみたが、この演奏を超えることはなかった。録音を含めた完成度の高さは、ちょっと信じられないと確信している。だが、この演奏をそれほど高く評価しない人も多い。私の場合、上記のような特別な思い出があることは事実である。それでも未だにこの演奏が好きである。そして他の演奏を持ってはいない。
マーラーの交響曲に、結局は行き着くのではないかと思う。そこでこれから時間をかけて、このベートーヴェン以来の大作曲家が記した足跡を、自分なりにたどってみたいと思う。その最初のページに、どうしても記しておきたかったことを、今日やっと記し終えることができた。バックで流れていた演奏も、丁度さきほど終ったところである。
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