2013年1月31日木曜日

ベルリオーズ:歌劇「トロイアの人々」(The MET Live in HD 2012-2013)

フランスの革命的な作曲家ベルリオーズが、その後半の人生において全勢力を傾けたオペラ「トロイアの人々」は、上演時間が4時間を超える超大作で、生前に通して演奏されることもなかったほどだ。フランスにおいて原語で通しで上演されたのは、わずか二十数年前と言われるし、全曲を我が国で上演されたこともない。そういう作品だから、たとえビデオとは言え、集中して見る機会など滅多にあるものではない。

今シーズンのMET Live in HDシリーズにおける話題作の一つが、10年ぶりに上演されるこの作品であった。しかし上演時間が長いので始まるのは午後5時である。週末は家族と過ごす必要が有るため、この作品を見るためには会社を休まなければならない。勿論、その価値は十分にある。しかし見たこともない作品を、本当に楽しめるのだろうか。そして果たして出来栄えはいいのだろうか。不安が拭えない。風邪は何とか治ったものの、集中力を維持するにはどうしたらよいか。始まるまでは少し気が重かったことは告白しておかねばならない。

昼からは会社を休み、映画館近くのカフェであらすじくらいは頭に入れておこうと「予習」をした。歌もストーリーも何も知らない作品である上に、登場人物も多い。最初にわからなくなると、後半がつらいだろうと思った。

劇は第1部(第1幕と第2幕)と第2部(第3幕から第5幕)に分かれる。第1部はギリシャが撤退したトロイアが舞台である。預言者のカサンドラ(デボラ・ボイト)がトロイアの悲劇を予言するが、誰も信じようとしない。ところがこの予言が的中し、ギリシャ人がトロイアを滅ぼしてしまう。世界史で習ったトロイア戦争である。ここにトロイの木馬が登場する。舞台でもそれは出場し、そしてその中から隠れていたギリシャ兵が出てきて、トロイアを滅ぼしてしまうのだ。結局、最後にアエネアス(ブライアン・イーメル)と兵士たちは財宝を持って逃れ、カサンドラを始めとする女達は集団自殺してしまう(第2幕)。

アエネアスがたどり着いたのは、北アフリカのカルタゴ(現在のチュニジア)であった。ここには未亡人となった王女ディドー(スーザン・グラハム)がいて、やがてこの二人は愛しあい結婚をしてしまう。第3幕と第4幕は、第1部とは一転してオペラの醍醐味が味わえるロマンチックなストーリーである。しかしアエネアスは神々の預言を聞き、やむなく王女を振り切ってイタリアへと向かう。裏切られたディドーは山中で自決する(第5幕)。アエネアスはその後ローマ帝国を建国したとされている。

これは伝説であるが、この話を書いたのは紀元前後の古代ローマ最大の詩人ウェルギリウスで、その一大叙事詩に基づくオペラがこの「トロイアの人々」というわけである。ベルリオーズは自ら台本を書き、それに音楽を付けた。劇音楽に対するこだわりと壮大なスケールは、ワーグナーに引き継がれた要素を多分に持っている。

管楽器の印象的なメロディーで幕が開くと合唱となる。しばらくしてカサンドラが登場するのだが、ここで早くも私は睡魔に襲われてしまった。ストーリーが頭に入っているので安心してうとうとしていると、30分が経過してしまった。その間、賑やかな歌と合唱がずっと続いていたように思う。このオペラはベルリオーズらしく、独特の雰囲気を持っており、しかも合唱が非常に多い。

大きな木馬が広いメトの舞台に出てくるあたりで頭は冴えてきたが、第1部については何となく雑然とした感じでそれほど楽しめなかった。だが興奮に満ちたインタービューを挟んで上演された第3幕以降の第2部は、全編息を付く暇もないほどの出来栄えで、こういうオペラもあるのかと、私は深い感動に見舞われた。

特に第3幕と第4幕はバレエが次から次へと登場する。大工、水夫、それに農民。バレエ好きの人には好まれよう。 吟遊詩人もいる。登場人物が多すぎて書ききれない。主要な歌手だけで9人もいるので、プログラムのコピーを掲載しておく。100人を超える合唱団、少年合唱団、それにバレエ。オーケストラも多彩な楽器があるときは舞台裏からも聞こえてくる。

第4幕は全体の中でも聞きどころが多い。五重唱や七重唱もあって、イタリア・オペラのそれとは少し異なるが、ビデオで見るとカメラワークの良さもあり聞き応えがある。もっとも素晴らしかったのは「恍惚の夜よ!」と歌う情熱的な二重唱だろう。この部分はほとんどうっとりと聞き惚れてしまう。ベルリオーズの書いた最も美しい音楽ではないだろうか。テノールのイーメルは若干33歳のアメリカ人だが、彼は10日前にピンチヒッターで急遽招聘され、センセーショナルなデビューを果たしたばかりという。ベテランで美貌のスーザン・グラハムと相性抜群の見事な二重唱を聞かせた。

休憩をはさんで第5幕は、一転ストーリーが悲劇へと向かう。そのドラマチックな展開は、迫り来る音楽の躍動と、重唱を終えて調子の乗った歌手たちが、迫真の演技を披露した。アエネアスの別れのアリアに始まり、ディドの自決のシーンまでは、一気に聴かせるので私はほとんど硬直状態だった。合唱も尻上がりに見事である。

それには指揮のファビオ・ルイージによる貢献が大きいと思われる。全体に亘って弛緩することなく、集中力を絶やさなかったばかりか、音楽の自然な流れを形作って大変素晴らしかった。ストーリーが考えられているせいか、話に唐突な感じがない。そして音楽も。これだけ長い曲を一気に演奏するのは並大抵のことではないと思う。女性演出家のザンペッロは、舞台の見事さに加えて歌手の動作にも配慮がうかがわれ、上演機会の少ない作品ながら見応え十分であった。

幕間のインタビューは次作のヒロインを務める予定のディドナートだったが、興に乗った会話は久しぶりにオペラの醍醐味を余すところなく伝え、5時間17分にも及んだ上演を長く感じさせることはなかった。チケット代5000円の初体験オペラはそれだけで、大冒険であった。だがそれだけの見応えのある舞台に興奮した、平均年令60歳程度と思われる観客も、興奮した足取りで夜の銀座に消えていった。

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