こういう言い方が適切か知らないが、ヴェルディをオペラ作曲家における東の横綱だとすれば、ワーグナーは西の横綱である。アルプス山脈を挟んでイタリアとドイツの巨人が、共に同じ年に生まれたのは偶然とはいえ、何か象徴的な感じがする。それどころかこのふたりは、その作風において共に影響しあうこととなった。丁度200年前ということは1813年のことで、まだベートーヴェンが43歳だったということになるから19世紀の音楽の発展には驚く。
ヴェルディの合唱曲集を聞いた翌日にワーグナーの音楽も聞いてみたくなり、ラックより取り出したのは1987年にライヴ録音されたCDであった。当時、まだ大学生だった私はアルバイトで貯めたお金から毎月1枚のペースでCD購入費に充てることを決め、その選定作業を楽しんでいた。廉価版やCDとしての再発も良かったが、私を悩ませたのは評判の新録音である。雑誌を読みながら、1枚に絞り込む作業は楽しかったが、それが当たっていい演奏に出会えるとさらに嬉しさは増し、たとえつまらない演奏に思えても、何度も聞いて気に入った部分を探そうと努めた。
80年台の後半は、今から思うと新録音のバブル時代だった。カラヤンやバーンスタインがまだ現役で活躍し、アバドやメータといった中堅指揮者も毎月のように新譜をリリース。思えばこの乱発がその後の低迷を招いた感は否めない。だが今でもこの当時に録音されたCDが中古などで売られていると、私は欲しくなる。そのような多くの新録音の中でも、晩年のカラヤンの演奏は、広告こそ派手だったものの、私には何となく気乗りがしないものだった。再録音が多く、もっと若い頃の演奏が良かったことを知っていると、ただ録音がいいというだけで高価な買い物をする気にはなかなかなれなかったのだ。
そのような中にあって一枚のCDが目に止まった。関係の悪化したベルリンを離れてウィーン・フィルを指揮したワーグナーのアルバムがそれだった。カラヤンのワーグナーをウィーン・フィルで聞く、という贅沢に加え、あの素敵な「ジークフリート牧歌」が入っているではないか。さらに「愛の死」を歌うのがジェシー・ノーマンというのは意外である。新録音でライブということもあり、私はとうとうそのCDを買い求めた。実はカラヤンの没する前年だったことになる(録音は2年前)。
歌劇「タンホイザー」序曲は、カラヤンの見事な演奏で聞くことのできる大変ゴージャスなものだが、ウィーン・フィルのふくよかな音が鳴り響き、過去の演奏とは比較できない味わいがある。楽劇「トリスタンとイゾルデ」の前奏曲になると、これが同じ作曲家でも随分違う和音の響き。当時初めてに近かったこの曲を、とても新鮮な気持ちで聞いた。このきっかけが、その後20世紀につながる近代の和音の響きだったということは、後年になって知るのだが。
この演奏はビデオ「ザルツブルクのカラヤン」のために行なわれ、その作品はテレビなどでも紹介されたと思う。私もそのさわりを見た覚えがある。「タンホイザー」の序曲の演奏シーンがクライマックスを迎えると、画面がパッと切り替わりスポーツカーに乗ったカラヤンがアルプスの前を疾走したかと思う。あるいはノーマンが、リハーサルの際に「ただ黙って聞いていて下さい」とだけ言われてそのようにするシーン。カラヤンほど絵になる指揮者はいなかっただろう。機会があればもう一度見てみたいと思う。
「ジークフリー牧歌」は私の愛する作品のひとつで、ワーグナー体験の源流だと思っている。年末にFMで放送されるバイロイト音楽祭の録音放送を聞きながら、深夜に及ぶ受験勉強を終えて床についたのは高校生の頃だった。放送終了時にNHKはこの曲を、いつ終わるともなく長い時間、放送してくれた。実はそれが「ジークフリー牧歌」だとも知らなかった。私にとってこの曲は、寒い冬の就寝時にきく安らぎの音楽である。やはりウィーンの弦楽器の音に艶があって美しい。晩年のカラヤンの名演奏のひとつだと思う。
カラヤンは翌年の夏に突然死亡した。就職活動で上京する新幹線が新横浜に着く直前に、そのニュースを知った。カラヤンでも死ぬ時が来るのか、と思った。
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