2014年12月24日水曜日

ホイアンへの旅-①到着まで


4月になって夏のバカンスの行き先をいろいろ検討していたら、ベトナム行きの安い航空券が目に留った。お盆の時期、土曜日のお昼に出発して、日曜日の夕方に帰国するパターンで、しかも直行便である。それで燃料費等込み往復6万円もしなかったと思う。私は即座に予約を入れた。

直行便の行き先は、ベトナム中部の都市ダナンである。ここへの成田からの直行便は、後になって知ったことだが7月に入って就航するということだった。航空券が安かったのは、あまり知られていなかったからだろう。だがダナンの近郊には町自体が世界遺産にもなっている魅力的な小都市ホイアンがある。ここのホテルに1週間滞在することに決めた。

直行便だから、初めてのベトナム旅行にもかかわらず、首都ハノイや南部の中心都市ホーチミンにも寄らない。もともとこれらの町にはビーチもなく、バカンスとしては余計な行き先である。それに対しダナンは町自体が南シナ海に面し、付近には美しいビーチが広がっている。8泊9日の滞在は同じホテルとし、空港からホテルなどへの移動はすべて現地でタクシーを拾えばいい。妻はさっそくベトナム料理の教室に通い、蒲田などにあるレストランへ出かけては魅力的なベトナム料理に舌鼓を打つような日々を過ごしながら出発の日を迎えた。

久しぶりに利用した成田空港第1ターミナルには、ベトナム中部へ里帰りするベトナム人の列ができており、やがて小さなエアバス機へと私たちは案内された。ダナンまでの飛行時間は5時間程度で、香港よりは遠くバンコクよりは近い。この時間は、日本から外国に行く便としては短いほうだが、飛行機の旅が歳とともに苦痛となっているな私にとっては十分に長い。だがそれも眼下に湿地帯の広がる大地を目にすると、ついにベトナムへ来たか、という感慨がわき起こった。ベトナムの上空を飛んだのは、初めてのヨーロッパ旅行で香港からバンコクへと向かった時だった。1987年のことである。雲の中から青く長い海岸と深々としたジャングルの森林が見えた。かつてここで激戦が行われた、あのベトナムの大地であった。それもすぐに厚い雲に覆われて、私はメコン・デルタもシェムリアップ湖も見ることはできなかった。

ダナンの空港は意外にも新しい建物だったが、大きさは伊丹空港と同じくらいで雰囲気も似ていた。ただ土曜日の夕方だというのにあまり人はおらず、私たち家族は薄暗い到着ゲートをくぐると、暇そうな銀行で少々の現金を両替しタクシーを探した。タクシーはすぐに見つかりメーターを倒して出発。バイクが渦巻くダナンの町を駆け抜けていきながら、ここは20年くらい前のバンコクのような感じなのだろうか、などと推測した。ロータリーのある広い道を何度も曲がり、近代的な橋を渡ると海沿いの広い道へ出た。高級ホテルや保養地が並ぶ一直線の道をホイアンまで約30分である。

日はもう暮れていた。やがて私たちはPalm Gareden Resortという5つ星ホテルに到着した。引き抜けの広いロビーでチャックインを済ませ客室に案内されると、連日徹夜続きだった妻はぐったりと眠ってしまった。私と8歳の息子はプールのそばにあるレストランで、フォーと呼ばれる野菜入り米粉麺の軽い夕食(すこぶる美味しかった)を済ませ、カエルの鳴き声を聞きながら部屋に戻った。猫やヤモリも大勢いて、ねっとりとした空気が私たちを覆った。浴槽のシャワーが壊れたり水が漏れたりといった一通りのトラブルに対処したら、私も深い眠りについた。暑いとは言っても東京の人工的な暑さとは違う。そして空気が濃い。波の音が聞こえてくるほどあたりは静かで余計な電気もついていない。だから日本の余分な贅沢をすべて脱ぎ捨ててきた気分だった。それはとてもすがすがしい気分でもあった。私はここで過ごす時間が、今日を入れてもたった8日間であることを、早くも残念に思うのだった。

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