若干20分足らずのピアノ協奏曲第6番は、前作第5番よる2年余り後の1770年、ザルツブルクで作曲された。モーツァルトは20歳になっていた。この曲を聞いて最初に思うのは、こじんまりとした美しい曲だということだ。溌剌としているというよりは落ち着いた愛らしさがある。
特に第3楽章のロンドは私も特に好きで、何度かこの曲を聞くうち、第3楽章を何度も聞きたくなった。もちろん第1楽章の気品に溢れたかわいい音楽は、いつものようにピアノと管弦楽が完全なまでに予定調和的な交わりを繰り返す様に聞き惚れるし、第2楽章の、晩年の曲に比較しても劣らない上品さと静かさに、時のたつのを忘れる。それほど美しい曲である。
この曲が第27番の最後のピアノ協奏曲と同じ変ロ長調で書かれていることは、思わぬ発見であった。なんとなく雰囲気が似ているのだ。そして第27番(K595)は私にとって、おいそれとは聞けないモーツァルトの最高峰の曲だと思っている。まるで無色透明な中を蝶が舞っているかのような空間を想像する。
「自然」ということばが思い浮かぶ。ここで言う自然とは、野山や草木などの自然というよりはもっと生理的なものだ。そして何のてらいもなく音楽を紡いでゆくモーツァルトは、ここでもまた超人的である。第3楽章の入り方といい終わり方といい、何と形容していいかわからないのだが、その間に挟まれた中間的な部分にも、転調による色の変化が心地よい。時に聞こえてくるホルンの絡みが、これに味わいを加える。
さて演奏である。私はこの曲をエマールの弾き振り演奏で聞いた。オリジナル風の響きによってこの曲が通常考えられているようにもはるかに大人びた演奏になっている。 そして第15番、第27番とカップリングされているのは、上記のようにこれらの曲が同じ変ロ長調で書かれているからだろう。ピアノ協奏曲としては初期の作品でありながら、晩年にも通じる充実を見せていることを、またこの演奏は示しているように感じられる。
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