ミーソン遺跡に行くには、タクシーをチャーターするしかない。私はいつも行くホテルのそばの地元レストランで「ミーソン遺跡ツアー」を申し込んだ。朝の約束の時間になると一台のタクシーがホテルに来て(ベトナム人は時間には非常に正確である)、私たちを一台のトヨタ車に案内した。よく見るとドライバーはレストランの主人の弟のようであった。ホイアンの近郊を抜け川を渡り、途中高速道路を通りながら約40キロの道のりを走った。
ベトナムの農村風景をぐねぐねと走りながら次第に山のほうへ入っていくと、入り口に立派な博物館(は日本の支援により建設された)のゲートが姿を現し、そこで入場券を買うと、さらに狭い山道を通り殺風景な駐車場に着いた。大型のバスでやってくる韓国人グループや、HISの旗を持った日本人団体客などが早くも歩き始めていたが、それもお昼までで、一斉に帰ってしまう。なぜなら午後は、暑くて観光どころではないからだろう。私たちも駐車場から遺跡群に向かって歩きながら、うす曇りの天候であることに感謝した。
チャンパ王国は2世紀からベトナムに滅ぼされる17世紀まで存在したチャム族の王国で、交易で栄え、広く東南アジアに勢力を伸ばした。ホイアンはいわばその中心地であり、海のシルクロードの東側の起点にあたる。ホイアンの中心にある「日本橋」が造られた朱印船貿易の頃、日本人町が栄えたのもチャンパ王国の頃と言える。つまりホイアンは日本の東南アジアへのゲートウェイであった。そして興味深いことは、チャンパ王国の国教はインドの影響を受けたヒンズー教(及び後にはイスラム教)であったことだ。その聖地ミーソンの遺跡群は、シヴァ神を祀っている。日本にも近いこのような場所に、そんな文化があることを、恥ずかしいことにこれまで知らなかった。
ミーソン遺跡群にはただ朽ち果てた煉瓦の建物と、内部を改装して博物館風にしてある以外は、さほど見るものもないところであった。その煉瓦も土をかぶり草の生えたいかにも古そうなものから、新たに煉瓦を積んで色を塗り替え、観光地風にしたものまで様々で、どの遺跡がどういう意味を持つかは別途資料を読まないとわからない。だがここでも私は、エジプトのピラミッドやギリシャのデロス島でそうであったのと同様、余りの暑さに観光どころではなくなったというのが正しかろう。それでもわざわざベトナムにやってきて見たインド風の建造物は、仏教文化に興味のある私にとって貴重な経験だった。

お昼過ぎにホイアンへ戻ってくると、そこにだけ多くの旅行者がいて賑わっていた。今もホイアンは世界中の人々をひきつけているが、それは大昔からそうであったように、様々な文化や習慣が入り混じりながらここの自然や文化に溶け込んでいたのだろうと思う。それがインドシナ半島の南シナ海に面した真ん中辺にあって、今ではベトナム社会主義国の中部に位置している、ということなのだろうと思う。
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